第0953日目 〈雅歌第5章:〈わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。〉&斯くして万事は復調の兆しを見せる。〉 [雅歌]

 雅歌第5章です。

雅5:1-16〈わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。〉
   若者の歌
 1:わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。
  香り草やミルラを摘み
  蜜の滴るわたしの蜂を吸い
  わたしのぶどう酒と乳を飲もう。

  友よ食べよ、友よ飲め
  愛する人よ、愛に酔え。

   おとめの歌
 2:眠っていても
    わたしの心は目覚めていました。
  恋しい人の声がする、戸をたたいています。
  「わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。
  わたしの鳩、清らかなおとめよ。
  わたしの頭は露に
  髪は夜の露にぬれてしまった。

 3:衣を脱いでしまったのに
    どうしてまた着られましょう。
  足を洗ってしまったのに
    どうしてまた汚せましょう。
 4:恋しい人は透き間から手を差し伸べ
  わたしの胸は高鳴りました。
 5:恋しい人に戸を開こうと起き上がりました。
  わたしの両手はミルラを滴らせ
  ミルラの滴は指から取っ手にこぼれ落ちました。

 6:戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。
  恋しい人の言葉を追って
    わたしの魂は出て行きます。
  求めても、あの人は見つかりません。
  呼び求めても、答えてくれません。
 7:街をめぐる夜警にわたしは見つかり
  打たれて傷を負いました。
  城壁の見張りは、わたしの衣をはぎ取りました。

 8:エルサレムのおとめたちよ、誓ってください
  もしわたしの恋しい人を見かけたら
  わたしが恋の病にかかっていることを
    その人に伝えると。

   おとめたちの歌
 9:あなたの恋人はどんなにいいひと
  だれにもまして美しいおとめよ。
  あなたの恋人はどんなにいいひと
  こんな誓いをさせるとは。

   おとめの歌
 10:わたしの恋しい人は
    赤銅色に輝き、ひときわ目立つ。
 11:頭は金、純金で
  髪はふさふさと、烏の羽のように黒い。
 12:目は水のほとりの鳩
    乳で身を洗い、形よく座っている。
 13:頬は香り草の花床(はなどこ)、かぐわしく茂っている。
  唇はゆりの花、ミルラのしずくを滴らせる。
 14:手はタルシシュの珠玉をはめた金の円筒
  胸はサファイアをちりばめた象牙の板
 15:脚は純金の台に据えられた大理石の柱。
  姿はレバノンの山、レバノン杉のような若者。
 16:その口は甘美、なにもかもわたしを魅惑する。
  エルサレムのおとめたちよ
  これがわたしの恋する人、これがわたしの慕う人。

 「雅歌」3度目の通読を、お気に入りのキリンシティで、カウンター席に座を占めてスタウトを7,8杯飲みながら、しました。特にこの第5章は、たびたび目が留まり手が止まり、鼻の下を伸ばして矯(た)めつ眇(すが)めつ、溜め息混じりに読んだ章でした。全体に感じ入るところがあったのですが、特に熱い溜め息を吐かせられたのは「友よ食べよ、友よ飲め/愛する人よ、愛に酔え。」(雅5:1)、そうして続く「眠っていても/わたしの心は目覚めていました。」(雅5:2)という詩句でした。いやぁ、青春ですね! こそばゆいぜ!!
 が、その一方でダークな想念をも弄んだ章でありました。即ち、━━
 恋人の言葉に導かれて、処女子は夜の街へ出て、遠近を彷徨う。いつの時代でも女の一人歩きは人の目に咎めるようだ。彼女はやがて夜警に出喰わし尋問を受け、見張り番には衣服を剥がれる。それでもなお、彼女は愛しい若者を尋ね求めるのです、わたしは「恋の病にかかっているのだ」と。
 が、一歩間違えば狂女の世界、夢か現かその境界は非常に朧ろである。あともう少しでシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》や能『隅田川』の世界だ。「眠っていても/わたしの心は目覚めていました」とはロマンティックだが、立ち位置を間違えると、危ういものになるのかもしれないな、と感じることであります。
 さりながら処女子の純粋無垢な想いがどれだけ強いものであるかを十全に示す章と思うと同時に、処女子と若者の若々しく情熱的な相聞に羨望と憧憬と一種の苦々しさを覚えるのも事実なのであります。あ、それがやっぱりさっきも書いた「青春」ということか……なるほど!
 ところで、疑問が一つ。処女子が彷徨った夜の街、これはおそらく第3章で恋人を求めて遠近を歩き回り夜警に見附かったのと同じ町なのであろうか。というのも、第3章と本章とでは〈まち〉に宛てられた漢字が異なるからだ。前者では<町>、本章では<街>なのだ。ここは厳密に用法を別にしての使い分けと信じたいが、本当のところはどうなのだろうか。因みに第3章でいう町は行政単位であり、人家が集まって大きな区画を成している土地を指して<町>という。一方で本章の街は、同業の店子が集まって形成されて一区画を構成している土地を、斯くいうのだ。そう、わたくしは認識している。さて、ではいったい真相は如何に? 新共同訳聖書の発行元である日本聖書協会に問い合わせるべきでしょうか?



 細切れの時間を見附けては蔵書のスリム化に勤しんでいます。どうしても処分できないけれど、場所塞ぎになるだけだな、と思うものは段ボール箱へ別に詰めて物置行きにすることにした(或いはトランク会社か)。いまのところその対象になっている最大の作家は三浦しをん、最大のジャンルは古典文学の研究書類である。上田秋成の全集(最終巻はいつまで待たされるんだ!?)も悩みますね。
 韻文学と歴史書を中心に揃えた新日本古典文学大系とかも、できればいつでも手に取れるようにしておきたいのだけれど、なかなかどうしてこれまた難しい。わが家の一室が書庫として自由に使えればいいのだけれど……そうすると、余計に本が増殖するばかりなのか。困っちゃうなぁ……。
 「雅歌」が終わって「イザヤ書」へ入るまでの間に幾つかのライトノベルの感想もお披露目したく準備もせねばならぬので、ライトノベル関係の本もいまは処分することも仕舞いこむこともできない。むろん、これはあくまで予定である。予定は未定であり、決定ではないことをご理解いただきたく思う。ライトノベルでなにを書くかといえばこれはだいたい決まっていて、ただ5種類にするか7種類にするかで悩んでいる。
 これは自分が中学生時分から読んできたメインストリームの小説から離れた、かつてはジュニア小説と呼ばれもした時代の産物も含むから、新しい小説よりも古い小説の方がリストには多く上がってきている。このあたりの是正を如何にするかで思い出したように頭を悩ませているが、まぁ、角川スニーカー文庫や電撃文庫(いま机の脇に転がっている作品の出版社がたまたまこの2社であった)などよりはどちらかというとコバルト文庫やソノラマ文庫など老舗レーベルの作品の方が多くなるであろうことは致し方ないのかもしれない━━それらを呼吸するように読んできたのだから!
 忘れてはいないですよ、livespaireで観た《ばらの騎士》の感想をお披露目する、と約束したことは。勿論、そのあとで観た《白鳥の湖》もね。バレエの方は推敲が控えているけれど概ね出来上がっている、というて過言ではない。問題は愛情あふれて却って書けなくなってしまっている《ばらの騎士》なのだ!! もう4回書き改めたが、納得がいっていないのは勿論、どうにも大切ななにかが零れ落ちてしまっているような気がしてならぬのだ。平井呈一は推敲を最低3度は行った、といい、生田耕作先生もそれに共鳴してか、新たに版が出るたびに訳書の推敲を己に課した。それに較べればこの程度のエッセイ、というか感想もどきがいったいどれだけの苦労というのか。嗚呼。もう少し気分が落ち着いたら再挑戦しようか。
 この数日、ドストエフスキーを読めていない。ユリア夫人主催の祭りの直後の場面から、牛歩どころではなくまさしくお休み状態だ。このところパソコンの調子がおかしく、読書それ自体に時間を割くことができなかったのだ。言い訳めくが事実であるからそれは仕方ない。でも、昨夜を以て事態は解決の方向へ動き出し、いまはパソコンも順調に動いてくれている。ハレルヤ! そんな喜びも手伝ってつい長々と書いてしまったが、この一事を以てわが喜びの如何程かをご推察いただきたく思うている。
 斯くして万事は復調の兆しを見せ、明日から仕切り直しと相成ろう。ご期待あれ……って、え?◆

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