第1024日目 〈イザヤ書第41章:〈諸国民の審判〉with生活のペースを摑んだあとですることは、……〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第41章です。

 イザ41:1-29〈諸国民の審判〉
 ○召喚の詔;大海(地中海)の島々はわが許へ来て静まれ、諸国民は力を新たにするがよい。そうしてから、進み出て語るがよい、互いに近附いて裁きを行おうではないか。
 ○陳述;征服者バビロニアを倒すにふさわしい者を東から呼び起こすのは誰であるか。━━主なるわたしに他ならない。<かれ>が滞りなく行く手の諸国を駆逐してゆけるのは誰の意思であるか。━━主なるわたしの意思に他ならない。
 ○救済の言葉;わが僕イスラエルよ、わが選びしヤコブよ、わが友アブラハムの末よ。わたしはあなたを愛す、ゆえに地の果て、その隅々から呼び起こした。わたしはあなたを決して見捨てない。なにごとにも恐れるな、わたしはあなたと共にいる。救いの右の手であなたを支えていよう。
 あなたに対して怒りを燃やす者はみなかならず辱められ、恥を受け、争えば相滅び、無に帰してむなしくなる。なにごとも恐れるな、わたしはあなたと共にいる、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。わたしはあなたを打穀機とする。山々を砕き、丘を籾殻とする。粉塵は風にあおられ、嵐によって散らされる。あなたは主によって喜び躍り、イスラエルの聖なる方を誇る。
 水を求めても得られぬ苦しむ人々、貧しい人々のために、わたし主は不毛の高原に大河を開き、谷間の野に泉を湧き出させ、荒れ野を湖とし、乾燥した地を水源のある場所とする。荒れ野には葉の緑濃き喬木(アカシアやミルトス、オリーブの木など)や灌木(糸杉や樅(もみ)、黄楊(つげ)の木など)が茂るようになる。かれらはこれを目の当たりにして、イスラエルの聖なる神の創造の御業に目覚めることであろう。
 ○論争;イスラエルに対して怒りを燃やす者は訴え出て、イスラエルの聖なる神に論拠を示せ。原初の出来事と未来の出来事を示し、告げてみよ。わたしはそれを心に留めよう。将来に関わる徴しを示し、告げてみよ。わたしはお前たちが神であると悟ろう。なにごとをも良くも悪くも行ってみよ。われらは共に見させてもらおう。「しかし、お前たちは無に等しく、働きはむなしい。/お前たちを選ぶ者は忌むべきものだ。」(イザ41:24)
 ○判決の詔;征服者バビロニアを倒すにふさわしい者はわたしによって北から奮い立たされ、日の昇る方向の地からわたしの名を呼ぶ。誰一人としてこれの存在を前以て告げ、聞かせた者はいない。かれらのなかに助言ができる者などいない。かれらはすべて無に等しく、業もむなしいからだ。
 「見よ、シオンに初めから告げられていたことは/ここに実現した。/エルサレムに良い知らせを伝える者を/遣わそうとして。」(イザ41:27)

 ノートする前から何度となく読んでいたにも関わらず、如何にまとめればいいか判断がつきかねていた一章。そこへ光明を与えてくれたのが、岩波訳「イザヤ書」の註釈でした。合本版でP112註一に、ここは「法廷論争の文学類型で結び付いている」とある。今回はこれに拠ってノートを完成させることにし、いまご覧いただいているようなものが仕上がったわけであります。
 第二イザヤということもあって、固有名詞については捕囚の地であるバビロニアの地名しか出せないのが残念です。東と北から来る、主により呼び起こされた存在がペルシア王キュロスであるのは明々白々でありましょう。なお、ミルトスはネヘ8:15に登場した喬木であります。
 あともう一つだけ独りごちるのを許していただきたい。新共同訳聖書で一ト続きになっているイザ41:20と21ですけれど、内容から考えてここで一行開けておく方が、本文を正しく、迷うことなく読み進められるように思います。一ト続きにすべきはむしろ、イザ41:16と17であるように思えます。



 生活のペースが摑めてきたように思う。残業が基本的にないからなぁ……寄り道しないで帰ってくれば夜7時前には帰宅できる。このメリットを如何に生かすか。この恩恵を如何に自らへ還元するか。それが、鍵になる。
 鍵? そう、自分が使役されて終わるだけの存在になるか、会社から離れた場所で<勤め人>以外の自分を確立させるか、その鍵となるのが退社後の時間の使い方だ。取り敢えず現在は聖書のノートを認めるぐらいだけれど、それだけで終わる気は毛頭ないのである。わたくしには書かねばならぬ物語がある━━それがどれだけ稚拙なものであろうとも。物語を書き留めずに人生を終わる選択肢があるなんて、どう頭を捻ってみても信じられない。そんな人生がこの世に存在するのか?
 それはともかく。時間の配分や用い方については明日行われるテストを、入社して最初の昇給のテストをクリアしてから、なにが可能でなにが可能でないかも含めてじっくり検分してゆくとしよう。

 2連休の2日目、即ち昨日(ん、一昨日か)は村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫)を夕方から読みました。今日(昨日ですか)はちゃんとキングに戻りましたよ。読んだ短編は「魔性の猫」。何度目だ、この作品を読むのは?◆

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