第1028日目 〈イザヤ書第45章:〈キュロスによる解放〉&〈諸国民の受ける恥〉withS.キング「どんづまりの窮地」を読みました。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第45章です。

 イザ45:1-13〈キュロスによる解放〉
 主はキュロスへ油を注いだ。あらかじめ構想された歴史を実現させるため、かれの右の手を固く取って導き、かれの前に諸国をひれ伏させる。倒れた諸国の富や財宝はかれに与えられる。
 かれは自分がわたし、イスラエルの聖なる神によって呼ばれ、称号を授けられたことを知らない。むろん、かれに力を与えたのがわたしであることも知らない。
 わたしは正義によってかれキュロスを立たせ、その行く道をまっすぐ、平らにする。かれはわが都エルサレムを再建し、バビロニアによって連れて行かれた捕囚を解放する者。いっさいの代償を求めず、それを為す者。

 イザ45:14-25〈諸国民の受ける恥〉
 エチオピアとエジプトがあなたの許へ、鎖につながれたまま送り返されてくる。そうして、かれらは願うだろう。イスラエルの神の他はすべてむなしい神々であることを。イスラエルの神が救いを与えてくれる神であることを。
 「イスラエルは主によって救われる。/それはとこしえに続く救い/あなたたちは世々とこしえに/恥を受けることも、辱められることもない。」(イザ45:17)
 彼方此方の国から逃れ来たった者らよ、集って意見を交わし、結果を示せ。諸国を見舞った災禍をむかしから告げていたのが誰であるか、を。それは、わたし、イスラエルの神である、と。わたしの他に正しい神、救いを与える神はいない。
 「わたしは自分にかけて誓う。/わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は決して取り消されない。/わたしの前に、すべての膝はかがみ/すべての舌は誓いを立て/恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。/主に対して怒りを燃やした者はことごとく/主に服し、恥を受ける。/イスラエルの子孫はすべて/主によって、正しい者とされて誇る。」(イザ45:23-25)

 捕囚となっているイスラエルに希望が与えられる。諸国の恥はイスラエルの神以外の神を信じ、その偶像をあがめていたこと。諸国とはバビロニアをも含む。否、むしろ矛先は専らバビロニアに向けられている、といえようか。なぜならば、むかし、イスラエルの神が契約を結んだ嗣業の民が、かの地に連行されて捕らえられているからだ。本章の前後にたびたび登場する「闇に住まう民」とは、捕囚の地に住まうユダを指す言葉であろう。
 ━━聖書を読んでいて時々混乱するのは、二人称<あなた>が誰を指すのか判然としなくなることです。この問題を解決してから原稿は作られる。結果に満足のゆくこともあれば、そうでないこともあるのは、文章を量産していれば自ずと経験することである。



 ご報告だけ。喫茶店は断念しました、近所で夏祭りをしていてその余波を食らっているとあっては……!
 けっきょくいつものスタバへ足を伸ばし、キングの「どんづまりの窮地」を読了。<密室からの脱出劇>といえば聞こえは良すぎるか。不快だけれどさすがの筆捌きに圧倒されて、最後まで巻を置く能わざる一気呵成の読書であった。或る意味でこの人の本領が遺憾なく発揮された一編といえなくもない。
 この不快感と眉を顰めさせられる感覚は、ブラム・ストーカーの「雌猫」と読んで以来の経験です。つまり、滅多にお目にかかれぬ類の作品である、ということ。えげつないけれど、面白い。現代屈指のストーリー・メーカーがお届けする、正真正銘、悪夢めいた、鼻がひん曲がり反吐がこみあげてくる比肩する物なかなか思い付かぬ短編でありました。
 でも、これは映像で観たくないなぁ……。どういうことか、知りたい方あれば、是非手にしてご一読くださいませ。◆

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