第1034日目 〈イザヤ書第50章:〈シオンの回復〉&〈主の僕の忍耐〉with“POSITIVE SMAP”〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第50章です。

 イザ50:1-3〈シオンの回復〉2/2
 主はいう、お前たちが犯した罪によってお前たちは売り渡され、お前たちがわたしに背いたためにお前たちの母親は追放されたのだ、と。
 「なぜ、わたしが来ても、だれもいないのか。/読んでも答えないのか。/わたしの手は短すぎて贖うことができず/わたしには救い出す力がないというのか。」(イザ50:2)

 イザ50:4-11〈主の僕の忍耐〉
 主は私を召して僕とし、目と耳を開いてくれた。私は逆らわず、退かなかった。人は私を蔑視し、暴行を加えるが、私はそれに耐えることができる。辱められることはない、と、知っているから。
 「わたしの正しさを認める方は近くいます。/誰がわたしと共に争ってくれるのか/われわれは共に立とう。/誰がわたしを訴えるのか/わたしに向かって来るがよい。/見よ、主なる神が助けてくださる。/誰がわたしを罪に定めえよう。」(イザ50:8-9)
 果たして主を畏れ、主の僕の声に従う者が、お前たちのなかにいるだろうか。闇のなかを歩いたり光のないところを歩く際、主の御名に信頼し、それを魂の支えとし、道しるべの光とする者が、いったいお前たちのなかに?
 ━━成る程、お前たちは自分の手に松明を持っている。ならば、その炎を頼りとして、行け。お前たちは苦悩のなかに横たわるであろう。

 わたくしは昨日のブログで、捕囚の地に在るユダの民は第二イザヤの言葉をどんな思いで聞いたであろうか、と考えました。その解答の一端を照らしてくれそうなのが、イザ50:4-11であります。勿論、これを連行された地に元から暮らしていた住民、つまりバビロン人に対しての言葉と受け取れもしますが、読めばその分だけこれが第二イザヤの周辺にいた捕囚民を暗に示しているように思われてならないのであります。
 捕らわれたユダは、かの地に在って主なる神による救済を繰り返し預言するかれを、むなしい希望、実現する見込みもない希望と受け取った。ゆえにかれを、叱咤し、罵倒し、遂には暴力にまで及んだ。捕らわれのユダ人の心はそのとき、涙に暮れていた。いたずらに希望を持たせるな、この地で朽ちてゆくわれらになんの希望があろうか、と。そうして来し方行く末を顧みて、改めて忘れていた主への信仰を少しずつ取り戻していった。自分たちの罪のゆえに信じることを忘れていたイスラエルの主なる神、イスラエルを贖う聖なる方の存在を。……些かメロドラマ的ではありますが、バビロンの地で捕らわれていたユダの人々は、第二イザヤを叱咤し、罵倒し、遂には暴力にまで及んだ際、そんなことを重い、心のなかで涙を流していたのではないのかな、と想像するのであります。



 『SMAP AID』の発売を来週に控えて、4年程前に編集したCD、その名も“Original SMAP Vest”を聴きながらブログの原稿を書いています。
 いまとなってはさすがに再編集の必要があるけれど、コンサートのセット・リストを想定して編集した曲にはすべて思い入れがある。曲目を発表すれば「え~!?」という声もあがるようなものも含まれている(かも)しれないけれど、まぁ、それは或る意味、お約束だから。
 曲目の発表は障りがありそうだから諦めますが、いま聴いているのは「ぼくの太陽」である、とだけ申しあげておきます。この編集CDは、今回のアルバムの顰みでいえば、個人的な目的で相当気合いを入れて作りあげた、さんさんか個人に向けたAID的CDであります。これを聴くと、ポジティヴになるのだ。成る程、POSITIVE SMAPというところか。
 2003年はボスの『ザ・ライジング』と椎名へきるの『PROUD OF YOU』、そうしてSMAPの『MIJ』に救われたなぁ。
 どちらにせよ、現時点での最新オリジナル・アルバム『We are SMAP』、最新オリジナル曲「Not Arone ~しあわせになろうよ~」までを視野に入れて、新しい個人的編集CDを作る必要があるなぁ……。fine,peace!◆

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