第1039日目 〈イザヤ書第55章:〈御言葉の力〉withかつてフォーラムで出逢った可憐な花へ。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第55章です。

 イザ55:1-13〈御言葉の力〉
 わたしの言葉へ耳を傾け、従うことができるならば、価を払わずとも糧を得ることができる。そう主はいう。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむことだろう。わたしに聞き従って魂に命を得よ。
 いま、私はあなたたちと永遠(とわ)の契約を結ぶ。かつてダビデに約束した、まことの慈しみのゆえだ。わたしはダビデを立てて諸国の統治者とした。いま、あなたの許へあなたの知らなかった国々が馳せ参じる。あなたの神、イスラエルの聖なる神のゆえに。━━そう主はいう。
 主なる神の目に悪と映ることを企み、謀り、行った者であっても、主の信仰へ立ち帰るならば主は憐れんでくれるだろう。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。/呼び求めよ、近くにいますうちに。/(中略)/主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。/わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。」(イザ55:6-7)
 わたしの思いとあなたたちの思いは異なり、わたしの道とあなたたちの道は異なる。そう主はいう。わたしの思い、わたしの道は、あなたたちの思い、あなたたちの道をはるかに超えている。いちど降った雨や雪は空の雲へ戻ることはなく、それどころか大地を潤し、作物を実らせる。わたしの言葉も同じだ。「それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命をかならず果たす。」(イザ55:11)篤(とく)と聞け、わが嗣業の民イスラエル。<御言葉の力>とはこういうことだ。
 やがてあなたたちは解放される。喜びのうちにいまの地を発ち、平和のうちにかの地へ導かれる。かつての都へ、ダビデの町シオンへ。エルサレムを擁し、囲む山と丘、そうして野の木々が、主の民の帰還を祝い、歓喜して迎える。その地には茨とオドロに代わって糸杉とミルトスが生えて、主に対する記念、しるしとなって残る。それは久遠に消し去られることがない。

 魂が打ち震える程の力を持った章です。さんさんかはワープロ稿を作成している間も、体中が震えるのがわかって、こんな言い方も変ですが、圧倒的な畏怖の念を感じたのであります。
 「第二イザヤ書」は希望と祝福のうちに、そのトーンを些かも失うことなく幕を閉じます。われらはこの箇所を幾度も読んで、絶望のなかに確固として存在する希望を捨てることがないように前を向いて生きてゆく心を、持ち続けているべきでありましょう。
 進むべき道はない。しかし、進まなくてはならない。――ルイジ・ノーノ
 歩き出した僕らの未来なら、これから先僕らで変えるから/どんなときも、ただ諦めずに進むよ。――SMAP「この瞬間(とき)、きっと夢じゃない」
 既に申したことの繰り返しになりますが、(旧約)聖書の神は言葉が先にあって行動する神、言葉によって事を為す神であった。本章は主御自らそれを宣言した章であります。
 「ダビデに約束した」云々については、サム下7:8-16をご参照いただければ幸いです。



 想いが届いたらいいな。フォーラムで出逢った可憐な花は、いまもあでやかな容(かんばせ)を誇って強く咲いているのだろうか。
 時に他の女性に見移りして忘れそうになったことも、正直なところをいえば、あるけれど、あなたの顔が、あなたと過ごしたほんのわずかな時間の思い出が、気持ちを本道に戻してくれた。だから、この想いが曲げられることなく届いてほしい。
 逢いたいよ、あなたに……
 ……帰りの送迎バスのなかから見た夕暮れの空は、とっても綺麗で、誰かと見あげたい空だったよ。
 いやぁ、それにしても、SMAPの「STAY」を聴いていると涙が出てきて困りますよ。◆

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