第1041日目 〈イザヤ書第56章:〈異邦人の救い〉&〈神を畏れぬ者〉1/2with一日の読書時間を計算してみた。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第56章です。

 イザ56:1-8〈異邦人の救い〉
 「主はこう言われる。/正義を守り、恵みの業を行え。/わたしの救いが実現し/わたしの恵みの業が現れるのは間近い。」(イザ56:1)
 ━━主の許へ集い来たった異邦人も宦官も、自分が主の民と区別されて扱われている、などと思うたりするな。あなたたちは枯れ木なんかではない。
 宦官よ、あなたがわたし主なる神の安息日を守り、わたしの契約を固く守るなら、あなたはわたしの民である。子供を持つ以上の記念の名を、わたしが与えるとこしえの名を、わたしの家、わたしの城壁へ刻もう。それは永遠に消し去られることがない。
 異邦人よ、あなたがわたし主なる神に仕え、その名を愛し、僕となり、安息日を守り、わたしとの契約を固く守るなら、あなたはわたしの民である。わたしはあなたを、わたしの聖なる山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。あなたが焼き尽くす献げ物といけにえをささげたならば、わたしは自分の祭壇でそれを受け入れよう。
 斯くしてわたしの家は、すべての民の祈りの家となる。
 「追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる/既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。」(イザ56:8)

 イザ56:9-12〈神を畏れぬ者〉1/2
 獣どもよ、こぞって食べに来るがよい。イスラエルの見張り人は惰眠をむさぼり、いまは夢のなか。獣どもは強欲で、自分たちの欲望に忠実で、自分たちの益になることばかりを考えている。
 彼らはいう、強い酒をたらふく飲もう、明日は今日よりすばらしい一日に違いないから、と。

 「第三イザヤ書」が本章より幕を開けます。
 主を信じる心があり、安息日を守れるならば、異邦人であろうと宦官であろうと、境遇や人種などはいっさい関係ない、と宣言された章。この隔てのなさこそ、聖書の神が普遍の存在として世界中で信仰される要因、いいかえれば懐の深さといえるのかもしれません。
 来たるべき<未来>を見据えた壮大なヴィジョンの、ほんの一欠片に過ぎぬ言葉ですが、これだけを以て幾許かの救いが感じ取れるように思うことであります。
 個人的にはね、イザ56:12にある主を畏れない者たちの台詞はけっこう好きなんです。「さあ、酒を手に入れよう。/強い酒を浴びるように飲もう。/明日も今日と同じこと。/いや、もっとすばらしいにちがいない。」……いやぁ、済みません、お酒が好きなので……。



 粛々、静々と『増補 遅読のすすめ』を読み進めています。あまりに悠然としたペースであることも手伝って、先日、ちょっと試しに一日の読書時間がどれぐらいあるのかな、と計ってみたら、働いている日は約一時間ちょっとであることが判明。
 往復の電車のなか(大抵はどちらか)と、タイミング悪くひとりで過ごす羽目になった昼休憩、あとは就寝直前に床中で漫然と開くことがある程度。休日はもう少し多い時間を取れるのですが……。
 翌日を考えると、なかなか自由に裁量できるわけでないのがちょっと辛い。でも、人生は読書を中心に廻っているわけではないのだ。そんな人生は不幸だと思う。◆

共通テーマ:日記・雑感