第1044日目 〈イザヤ書第59章:〈救いを妨げるもの〉with心持ちの雑然とした日;Come on up for the rising.〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第59章です。

 イザ59:1-21〈救いを妨げるもの〉
 主による救いを妨げているのは、共同体のなかにいる、主の目に悪と映ることを企み、行う人々のゆえだ。かれらは偽りと災いを産み、その手には不法の業があり、その足は悪へとひた走る。かれらのゆえに主による救いはわたしたちを遠く離れる。背きの罪はわたしたちと共にあり、そうして重い。
 「彼ら(主の目に悪と映ることを行う者たち)の計画は災いの計画。/破壊と崩壊がその道にある。/彼らは平和の道を知らず/その歩む道には裁きがない。/彼らは自分の道を曲げ/その道を歩む者はだれも平和を知らない。/それゆえ、正義はわたしたちを遠く離れ/恵みの業はわたしたちに追いつかない。/わたしたちは先を望んだが、暗黒の中を歩いている。」(イザ59:7-9)
 「まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。」(イザ59:15)
 主は、主の目に正しいと映ることが、正義が、そこで行われていないことを知って、驚いた。主は恵みの御業と報復をその身にまとって、諸国に臨み、背く者、逆らう者を討つ。やがて諸国は主の御名と主の栄光を畏れるようになる。
 主は贖う者としてシオンに来、ヤコブのなかにいる罪を悔いる者の許へ来る。悔い改めた者の口に置かれた主の言葉は、子々孫々に至るまで、久遠に離れることがない。主はいう、これがわたしの契約である、と。

 救いを妨げる原因は共同体のなかにこそあり、それが改められて主の御業が顕現する。そのときに主の民の口に置かれた主の言葉は永遠であり、これこそが未来へ継承されてゆく契約である。
 ━━どうです、この明快さ。曇りも影もない言葉、塵芥にまみれることがない言葉とは、こういうものを指していうのです。さんさんかは今日のブログの原稿を書いていて、いつもと違った心の穏やかなることを切々と感じ、筆を擱いたあともしばらく法悦としかいまの自分には表現しようのない感覚に耽っていたことを告白しておきます。
 読者諸兄も是非本文へあたって一つ一つの言葉を噛みしめ、吐露される思いを汲み取っていただくことを願います。



 今日は心持ちの雑然とした日であった。鬱ぎ虫が久々に自分のなかで大きな顔をして居坐り、わが感情を支配せんと手ぐすね引いていたのがわかっているだけに始末に負えず、これと折り合いをつけるのに必死で周囲の様子にいま一つ神経が行き届かなかったのである。ダメですな、これでは。何十年社会人やっているんだか、と自嘲気味にもなろうというものだ。駄目押しに、帰宅途中で昔の同僚に出喰わすし、まったく以て最低である……。
 が、こんな感情はこの瞬間に封印して捨て去ってしまおう。明日は明日の風が吹く。今日の患いを明日に持ち越すなかれ、だ。明日は復活しますよ。ネガティヴな発言もこれで言い納めだ。Come on up for the rising.◆

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