第1045日目 〈イザヤ書第60章:〈栄光と救いの到来〉with汗臭くて疲れた体を叱咤して、……〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第60章です。

 イザ60:1-22〈栄光と救いの到来〉
 主はいう。
 いま、全地は闇に閉ざされ、覆い尽くされている。が、わたしの民であるあなたの上に光は注ぐ。主の栄光があなたの上に現れる。みながそこへ集い、あなたは喜びに輝く。
あなたを苦しめ、虐げた者は、シオンの名を、エルサレムの名を呼び、足許へひれ伏すことになる。主はあなたをとこしえの誇りとし、代々の楽しみとする。
 あなたは知るだろう、━━
 「主なるわたしはあなたを救い、あなたを贖う者/ヤコブの力ある者であることを。」(イザ60:16)
 そうして、「あなたの太陽は再び沈むことなく/あなたの月は欠けることがない。/主があなたの永遠の光となり/あなたの嘆きの日々は終わる」(イザ60:20)ことも。
 あなたたちはみな、主に従う人となり、とこしえに大地を継いで若木を育ててゆくことだろう、わたしの手の業として。

 「わたしがあなたに与える命令は平和/あなたを支配するものは恵みの業。/あなたの地は再び不法を耳にすることなく/破壊と崩壊は領土のうちから絶える。」(イザ60:17-18)

 救いを妨げていた存在が再び主の信仰へ立ち帰ったとき、本章で主が述べる栄光と救いが民の上に降り注ぐ。いろいろと修飾されていますが、核になる部分を取り出せばだいたい以上のようなものになろうか、と思います。いちど訪れた栄光は再び陰ることがなく、永久に民の手によって、主の嗣業の御業として次の世代へ、その次の世代へと順繰りに、バトンが渡されて継承されてゆくのであります。



 本章では少し大それたことをやってみました。ずいぶんと久しぶりな手段なのですが、たぶん「レビ記」あたりでやったきりでないか。即ち、原稿の直接入力であります。
 これまでずっとノートに原稿を認めた上でPCを立ちあげ、ワープロ・ソフトへ打ちこんで修正を加えていたのですが、久しぶりにやってみて、実感したことが2つある。緊張感があって流れが途切れることがない、ということと、原稿をスリム化できる、という2点。後者についていえば、ノートに書いているとつい力がこもってしまうのか、若干肥大化してしまうのだ。まるでキングの小説のように、アーヴィングの小説のように……。
 書かねばいられない、書きこまずにはいられない。言葉を費やさないと気が済まない。ここまで来るともはや病気であります。でも、贅肉を削ぎ落としてガリガリの骨しか残らないのであれば、肉を過剰なまでに付け加えたくなるのも道理でありましょう。言い訳めきますが、どうも申し訳ございません。これしか取り柄がないので……。
 それはさておき。
 おいらはいままでさんざんバカなことをしてきた。嘘もついた。裏切り、裏切られてきた。が、それも今日で(昨日ですか)お終い。気持ちの整理がついた。いまは悪夢を忘れて、この道の先に光が射していて永久に失われることがない、と信じて、一歩一歩汗臭くて疲れた体を叱咤して、前に進もう。GO AHEAD.◆

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