第1050日目 〈イザヤ書第65章:〈救いの約束〉with竹宮ゆゆこ『ゴールデンタイム』を読み始めました。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第65章です。

 イザ65:1-25〈救いの約束〉
 わたしに、と主がいう。わたしに反逆する者どもにもわたしは応え、手を差し伸べてきた。が、その罪ゆえにわたしは黙すことなく、かならず連衆へ怒りを降す。わたしはお前たちを剣に渡す。その剣の一閃にお前たちは倒れ、その剣の一突きにお前たちは屠られる。わたしの目に悪と映ることを行い、わたしの喜ばぬことを選んだからだ。
 お前たちの名は、わが嗣業の民━━わが名を呼び、わたしを心にも留め、わたしの道を歩く民の誓いの言葉となる。結束の言葉となる。一方で、この民は真実唯一の神によって祝福され、誓いによって<初めからの苦しみ>は忘れられる。わたしの目から、苦しみが隠されるからだ。わたしは斯くいう、━━
 「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。/初めからのことを思い起こす者はない。/それはだれの心にも上ることはない。」(イザ65:17)
 シオン/エルサレムはわが喜び、イスラエルの民はわが楽しみ。悲しみの声が聞こえてきたりはしない。かれらはノアやアブラハム、イサクの如く長命となり、みまかって後は先祖の列に埋葬される。長寿を満たさぬ者はなく、百歳にならぬうちは若者と呼ばれる。
 かれらが植えて育てた作物や果樹が、他国人の手に、口に、渡ることはない。かれらが建てた家に他国人が住まうこともない。
 「わたしの民の一生は木の一生のようになり/わたしに選ばれた者らは/彼らの手の業にまさって長らえる。/彼らは無駄に労することなく/生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。/彼らは、その子孫も共に/主に祝福された者の一族となる。/彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え/まだ語りかけている間に、聞き届ける。」(イザ65:22-24)

 ノアは950歳で(創9:29)、アブラハム/イスラエルは175歳で(創25:7)、イサクは180歳で(創35:28)、それぞれ没しました。
 本章をざわめくスターバックスの片隅に座を占めて黙して読んで感じたのは、これが、主がイスラエルに与える約束の言葉としては、最上の部類に入るものの一つではあるまいか、ということです。わたくしはここに、一種の清々しさを覚えます。
 一心に読んで感ずるところ多い章と、わたくしは考えます。


 竹宮ゆゆこ『ゴールデンタイム』(電撃文庫)既刊3冊を購入した、クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか』(岩波現代文庫)といっしょに。新歓合宿に出掛けるあたりまでしか読めていませんが、既にして作者の力量をとくと拝見させていただいた、と感じている。
 言葉は今風でありながら、文章は毅然としていて、柔軟性がある。これは文体で読ませる数少ないライト・ノベルであろう。それに、描写が丁寧である。服の描写はさることながら、じっくりと読み進めていると、その服の皺の流れ方やまで目に浮かぶ。
 同レーベルから出ている『乃木坂春香の秘密』の如く、グダグダ感を演出したままいたずらに巻を重ねぬことを、切に祈ります。◆

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