第1052日目 〈イザヤ書第66章2/2:〈栄光の顕現〉2/2with新しい明日の自分を探しに行こう。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第66章2/2です。

 イザ66:18-24〈栄光の顕現〉2/2
 主は、主を畏れる人の業と謀のゆえに臨む。すべての国、すべての言葉の民のために、主は臨む。かれらは集められて、その場所で主の栄光が顕現する様を見る。
 主はかれらの間に一つの“しるし”を置く。かれらのなかから生き残った者が諸国へ派遣される。タルシシュやプル(※1)、ルド(※2)といった大海(地中海)の沿岸諸国、小アジアの諸国のみならず、遠い海の彼方の、主の御名を聞いたこともないような島々の民にまで、派遣されたかれらは主の栄光を伝える。
 彼方此方へ派遣された者らは、主の栄光を知って畏れる心を持つようになった異邦人を連れて、聖なる山エルサレムにやって来る(帰ってくる)。諸国へ派遣された者らが連れてきた、新しく主を畏れるようになったかれらは、イスラエルが清い献げ物をささげるのと同じである。主は、異邦人のなかからも祭司と、レビ人(に相当する役を担う者)を任命する。

 「わたしの造る新しい天と新しい地が/わたしの前に永く続くようにと/あなたたちの子孫とあなたたちの名も永く続くと/主は言われる。/新月ごと、安息日ごとに/すべての肉なる者はわたしの前に来てひれ伏すと/主は言われる。/外に出る人々は、わたしの背いた者らの死体を見る。/蛆は絶えず、かれらを焼く火は消えることがない。/すべての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる。」(イザ66:22-24)

 ※1「プル」→北アフリカはリビア地方を指す。
 ※2「ルド」→小アジアのルデヤ地方を指すとされる。パウロ宣教によりキリスト教者へ改宗(ex;新約・使16:14)。

 「イザヤ書」の終わりです。そうして最後のメシヤ預言です。最後まで本書が主の信仰に立ち帰り、それを信じ、その果てにあるメシヤの到来を告げて、希望を失わなかった一書であることが確認できましょう。
 〈栄光の顕現〉2/2の前半は信仰の伝播(宣教)を、後半は聖地エルサレムへの巡礼を預言している。そんな時代が到来するとは、何人(なんぴと)も夢想だにしなかった時代の預言です。でも、(第三)イザヤは主の言葉を信じて、それを伝えた。それがやがて━━その後数世紀を経て━━実現した。即ち、イエスによる布教と使徒たちによる宣教活動です。一つのしるし、とは、勿論、イエスを指します。
 異邦人のなかからも、イスラエルの民同様の役を担う者を主は任命する、というところに、胸が圧し潰されるような喜びの感情を抱いたことをご報告して、二ヶ月半に渡った「イザヤ書」を終わりたいと思います。では、次の「エレミヤ書」でまたお会いしましょう。



 新しい明日の自分を探しに行こう。傷つくこともあるだろう。が、闇はかならず光に切り裂かれる。自分はかならずあたたかな陽光の下で、生を喜ぶことができる。だって、そう信じているからこそ、僕らは夜を過ごし、朝を迎えるのだもの。
 ♪笑顔抱きしめ 悲しみすべて
  街の中から消してしまえ
  晴れわたる空 昇ってゆこうよ
  世界中がしあわせになれ! ~SMAP「オリジナル スマイル」より◆

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