第1142日目 〈エレミヤ書第30章:〈回復の約束〉&〈ヤコブの災いと救い〉with AKBよりはSKE48の方が――〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第30章です。

 エレ30:1-3〈回復の約束〉
 預言者エレミヤに、主の約束の言葉が臨んだ。曰く、巻物を取ってわが言葉を記せ、と。また、イスラエル/ユダの繁栄は将来回復し、ここから遠くへ去った民は帰還する、とも。

 エレ30:4-24〈ヤコブの災いと救い〉
 主の言葉がエレミヤに臨んだ。曰く、――
 荒れて崩れつつある国の彼方此方より、民の震え戦(おのの)く声が聞こえる。最早この地から平和は去り、代わって恐怖が訪れた。恐怖の帳の下にイスラエルとユダは在って、恐れと哀しみの声をあげる。男は皆、腰に手を当てて膝から崩れ落ち、地面に横たわり、顔色を失い、そうして苦しんでいる。
 それは災いの日、苦しみの日。他に例を見ぬ怒りの日。
 さりながらイスラエル/ユダ、即ちヤコブをわたしは救う、と主。
 「(その日、わたしは)お前の首から軛を砕き、縄目を解く。再び敵がヤコブを奴隷にすることはない。彼らは、神である主と、わたしが立てる王ダビデとに仕えるようになる。」(エレ30:8-9)
 わが僕よ、苦難の事態に直面したからとて、震え、戦き、恐れて嘆くことはない。やがてお前たちは捕らわれて遠く敵の地バビロンへ連行されてゆく。だが、わたしはお前たちを、お前の子孫たちを、かの捕囚の地より救い出してこの父祖の地へ帰還させる。お前たちは、お前の子孫たちは、再びこの地に於いて生活を営むようになる。安らかに、何人に脅かされることもなく。わたしはバビロンを滅ぼし、イスラエルを滅ぼさない。「わたしはお前を正しく懲らしめる。/罰せずにおくことは決してない。」(エレ30:11)
 イスラエルよ、ユダよ、お前たちは自身に受けた傷の痛みを訴え、苦しみに叫ぶ。お前たちの傷は癒えることがない。お前を顧みるかつての盟友もいない。わたしへの信仰をお前たちが蔑ろにし、或いは忘れたが故に。お前たちが自身に受けた傷は代償である。叫ぶな、喚くな、泣くな。自業自得だ。
 イスラエルよ、ユダよ、わたしに立ち帰れ。お前たちがどれだけ周囲から詰られ、迫害されて白眼視され、中傷されようとも、わたしがお前たちの傷を治し、癒そう。
 「わたしがお前と共にいて救うと/主は言われる。」(エレ30:11)
 続けて慰めと希望の言葉が、預言者エレミヤに臨んだ。曰く、――
 わたしはヤコブの繁栄を約束する。王都は廃墟の丘の上に再び興され、神殿は新たに築かれる。そこからは感謝の歌と楽器の合奏が聞こえる。わたしはヤコブを増やし、かれらに栄光を与える。「ヤコブの子らは、昔のようになり/その集いは、わたしの前に固く立てられる。/彼らを苦しめるものにわたしは報いる。」(エレ30:20)
 やがて、一人の指導者がヤコブのなかから現れて、立ち、それを治める。その者は命を賭けて私に近附いてくる。かれ程の覚悟を持つ者は、かれ以外にない。斯くしてあなたたちはわたしの民となり、わたしはあなたたちの神となる。

 「見よ、主の怒りの嵐が吹く。/嵐は荒れ狂い/神に逆らう者の頭上に吹き荒れる。/主の激しい怒りは/思い定められたことを成し遂げるまではやまない。/終わりの日に、あなたたちはこのことを悟る。」(エレ30:23-24) 

 まず。30:2――「わたしがあなたに語った言葉を一つ残らず巻物に書き記しなさい」――ですが、これは後日に読む第36章と併せて取りあげたいので、こちらはネグレクト。
 これまで預言者へ臨んだ主の言葉に従って生きて、主の目に悪と映る行為をきっぱり断つのだ。悪事に耽ってなお見捨てることなく、イスラエルの神なる主(その名は万軍の主)の信仰に立ち帰れ。主なる神の言葉に従って誤った未来を選択するな。
 ――昔からそう警告されてきたにもかかわらず、預言者の言葉に耳を傾け、主の言葉に従わなかったイスラエルが、他の神を信仰の対象とする異民族によって滅ぼされるのは自然の摂理だ、とでもいわんばかりの厳しい、容赦なき言葉が見られるのが本章であります。
 が、これこそ逆説的な意味での〈立ち帰る〉手段である、とわたくしは思います。斯様に厳しく叱責された民が、主の言葉/エレミヤの予言が現実となるのを目の当たりにすることで今更ながら自分たちに与えられて蔑ろにしてきた言葉の正しさを知る。捕囚として連行されたかの地、即ちバビロンでヤコブの神への信仰を取り戻し、揺るぎなき信心を己の内に育み、自分たちを強く律して正す。そうすることで本当の意味で、自分たちの神を敬い、崇め、讃え、信じる心が作られる――バビロン捕囚はイスラエル/ユダの歴史に於いて悲劇をもたらしましたが、それは人々が神を愛し畏れる心を揺らぎなきものとするための、最も有効な手段であったのではあるまいか。そんな風に考える者であります。
 それだけに、30:18-22が捕囚解放/エルサレム帰還から福音書の時代の訪れを俯瞰しているところに、あたたかな希望を感じます。とても心強く、清々しい文言。メシア預言に連なる部分でもあります。
 30:23-24について申せば、それがエルサレム陥落を指すのか、或いは黙示録に通じる終末を指すのか、何度読んでも確かなところを摑めません。どちらにも受け取れますよね。キリスト者たちはどう読んでいるのかな?
 個人的な印象を述べさせていただければ、〈ヤコブの災いと救い〉を読んでノートを執っているとき、なぜかAKB48の「風は強く吹いている」が頭のなかでヘヴィー・ローテーション。困ったものです(〈DANCE! DANCE! DANCE! Version〉以外のPVってあるの?)。



 とはいえ――AKBよりはSKE48の方が好きなんだ。遥かに、断トツで、他を圧して、問答無用で、好きなんだ。先刻ご承知ですよね?
 観ても聴いても、いつだって♪気分・爽快・だよ~♪と感じるのは、彼女たちのノリが<微妙にラテン、しっとり和風>ゆえか? そういえば「1! 2! 3! 4! ヨロシク!」からしてそんな雰囲気だったような。「オキドキ」に至っては最早言葉を費やすまい。
 それにしても、「1! 2! 3! 4! ヨロシク!」で披露されるあの名台詞、「恋をするとね、朝、早起きになるんだって。理由? 知らな~い」には参っちゃいました。ま、茉夏……。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。