第1143日目 〈エレミヤ書第31章:〈新しい契約〉with思い出に残るコーヒーとは、……。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第31章です。

 エレ31:1-40〈新しい契約〉
 遠い北の地へ連行されてゆくイスラエル。しかしかれらはやがて、いずれ時が満ち来たりなば安住の地、即ち故郷の大地へ帰還を果たす。そのとき、主はイスラエルのすべての部族の神となり、イスラエルの民は主なる神の民となる、と主はいった。そうしてわたしは久遠の愛を、永劫の慈しみを、わが民に注ぐようになる、と。そのとき人々は歓びの声をあげ、喜びの楽を奏でる。躍る。主に背き続けて滅びの道を歩んだエフライムからも主を讃える声があがり、シオンへ上ろうと呼びかける声があがる。
 「主はこう言われる。/ラマで声が聞こえる。/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。/ラケルが息子たちのゆえに泣いている。/彼女は慰めを拒む。/息子たちはもういないのだから。/主はこう言われる。/泣きやむがよい。/目から涙をぬぐいなさい。/あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。/息子たちは敵の国から帰ってくる。/あなたの未来には希望がある、と主は言われる。/息子たちは自分の国に帰ってくる。」(エレ31:15-19)
 たとえわが目に悪と映る行いを繰り返し、道を踏み外すことがあったと雖も、エフライムはわたしの子である。そう主はいった。エフライムは欠け替えのないわが子であり、喜びを与えてくれる子である、とも。「彼を避けるたびに/わたしは更に、彼を深く心に留める。/彼のゆえに、胸は高鳴り/わたしは彼を憐れまずにはいられない」(エレ31:20)と、主はエフライムについて語った。
 森羅万象の法則が乱れて途絶えることがあろうとも、永遠にイスラエルは主なる神の民である。されど、かれらが己の分を弁えず、己が領域を踏み越えようとするならば、わたしはかれらを拒むこともあり得よう。
 遠い北の地より帰還したイスラエルはやがてこの荒れ果てた都を再建し、拡張し、発展させるだろう(ex;エズラ記、ネヘミヤ記)。「(再建された王都の)全域は主のもとして聖別され、もはやとこしえに、抜かれることも破壊されることもない。」(エレ31:40)

 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
 しかし、来たるべき日に、わたしがイスラエルと結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしに律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さいものも大きいものもわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(エレ31:31-34)
 ――これが、預言者エレミヤに臨んだ主の、新しい契約の言葉である。

 感銘を新たにさせられる章です。
 たとえ自分に背いた者であっても、悔い改めて再び自分を仰ぎ、主の道に立ち帰るならば、自分はかつてかれらが犯した罪に心を留めず、自分の民として受け入れて、愛し、慈しもう。
 ――大きな怒りの反動、といえばそれまでだが、わたくしもイスラエルの神なる主の如きでありたい。そうして、みんなが自分以外の誰彼に対して、すべからく寛容であってほしい、と、願うのであります。偽善と後ろ指を指されそうですが、色々いじめられたり理不尽なハラスメントに遭い、体に爆弾めいたものを抱え、いつまでも孤独に身を託つことを余儀なくされた者としては、本心からそう願うのであります。
 実を申せばブログの中断を余儀なくしたのは、本章のノートがどうしても書けなかったからです。当時のわたくしには、斯くも希望とあたたかさに裏打ちされた主の言葉を読むのが、とても辛かった。一行読んでは溜め息を吐き、一行読んでは絶望に打ちひしがれる、といった具合に。――いまも状況は変わりません。諦念の境地に達してしまった感もあります。
 ブログ再開か否かを逡巡した末に重い腰をあげて、ノートを再開、どうにかこうにか書きあげることのできた本章。筆を執っている間、幾度となく〈孤独に、されど自由に〉なるブラームスの言葉が胸に浮かんで消えず、想う人を諦めなくてはならない悔しさに、かのハンス・ザックスの胸のうちを想像し……。諦念を隠した微笑み!



 いちばんお気に入りの喫茶店、いちばん美味いコーヒーを飲ませてくれた喫茶店、というのは、もしかしたら、既に閉店してこの世になくなった喫茶店かも知れません。南蛮屋cafe(南蛮茶房)の入っていた建物の前を通るたび、そんな風に思います。
 ミロンガも但馬屋も、勿論スターバックスも良いけれど、わたくしにとってのヴェリー・ベスト・オブ・コーヒーは南蛮屋の各種コーヒー。ああ、もう一度、かの人の淹れてくれたコーヒーが飲みたいよ。単なるノスタルジーでしかないのは重々承知。◆

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