第1146日目 〈エレミヤ書第33章:〈エルサレムの復興〉with中田永一『吉祥寺の朝比奈くん』を読みました。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第33章です。

 エレ33:1-26〈エルサレムの復興〉
 「もし、わたしが昼と夜と結んだ契約が存在せず、また、わたしが天と地の定めを確立しなかったのなら、わたしはヤコブとその僕ダビデの子孫を退け、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶことをやめるであろう。しかしわたしは、彼らの繁栄を回復し、彼らを憐れむ。」(エレ33:25-26)

 獄中のエレミヤに再び主の言葉が臨む。敵に包囲されたエルサレムの未来、ユダの未来について。主の曰く、――
 カルデア人はこの都に攻め入り、建物に火を放ち、神殿を破壊し、兵と住民を薙ぎ倒し、地面にかれらの死体を横たわらせる。これはユダが自ら招いた災い。かれらの神、主によりもたらされた災厄である。が、エルサレムはこれで終わるわけではない。
 わたしはこの都に癒しと治癒と回復を約束する、イスラエルとユダが再びわたしの道を正しく歩めるように。かれらが犯したあらゆる悪、あらゆる罪を、わたしは赦す。諸国民はあまねくこれを知り、恐れて戦くだろう。
 廃墟と化して荒涼たる景色になったエルサレム。戦禍を免れて生き永らえた人々は、都の無惨な姿を目の当たりにして嘆く。住民も動物も、いない。命あるものの影が、どこにもない。壊れ、崩れ、荒れ果てた都の跡が、かれらの前に広がっている。
 しかし、これがエルサレムの終焉ではない。やがてわたしの定める〈時〉が来たら、都は再興され、街の通りは人々の声でさんざめき、神殿からは感謝の歌と喜びの楽の音が響くようになる。町々の郊外の牧場では、再び羊飼いが羊の群れを放牧し、憩わせるようになる。
 わたしはわが僕ダビデのために正義の若枝を生やす。わたしがイスラエルとユダの家に恵みの約束を果たす日に。ダビデは正義と公平を以てこの国を繁栄させる。その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。ダビデのためイスラエルの家の王位に就く者、決められた献げ物をささげる者が絶えることはない。わたしがダビデと結んだ契約を破棄し、レビ人である祭司と交わした契約が破棄されることはない。
 民がわたしを軽んじる声が聞こえる。お前には聞こえないか? それでもわたしはわが民を見捨てることなく、いつでも、いつまでも、かれらを憐れむ。

 「エレミヤ書」の核となる章の一つであります。〈ダビデの家〉という永遠の王家の長の座に在って、主へ反目した者は多かった。が、主はそれを叱責するに終わらない。都の復興に伴い、〈ダビデの家〉のために若枝を生やして茂らせる、と約束する。ここでは、一人の王の誕生が予告されています。メシア預言の一つとされる所以であります。



 TSUTAYAでDVDを借りるのを諦めた代わり、その映画の原作である中田永一『吉祥寺の朝比奈くん』(祥伝社)を読みました。
 表題作がいちばん印象深い。読み終えて巻を閉じたあと、じわり、と涙が滲みました。切なくて、苦しい気持ちにさせられる短編だけれど、透明感のある文章と淡々とした描写が相俟って、心の底にすとん、と落ちる快さがあります。ちょっとした秘密が裏にあって、すべてが一つの計画のために企てられた、或る意味で後味の苦いものであるにもかかわらず、それでも清らかな空気を保ったまま一編が終わるところに、作者の腕の良さを感じました。
 わたくしはこの人の本を読んだのは初めてなのですが、明日明後日にでも仕事の帰りに本屋さんへ立ち寄って、デヴュー作『百瀬、こっちを向いて』を探してこようかな、と考えています。◆

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