第1149日目 〈エレミヤ書第36章:〈預言の巻物〉with村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読みました。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第36章です。

 エレ36:1-32〈預言の巻物〉
 時代は少々遡って、ユダ王国がその頂点にヨヤキム王を戴いて四年目を迎えた年。まだエレミヤは捕縛されておらず、自由の身であった。この年、次のような主の言葉がエレミヤに臨んだ。バルクを呼んで巻物を与えよ、わたしがヨシア王の時代から今日に至るまで伝えた言葉をバルク相手に口述し、かれにそれを書き留めさせよ、と主はいった。エレミヤはそうした。
 エルサレムの住民とユダの町々からエルサレムへ上ってきた民に向けて、主の前で断食を行う旨、王より布告された。ヨヤキム王の御代第五年九月のことである。その月、バルクはエレミヤに命じられて主の神殿へ赴き、その前庭で件の巻物を朗読した。あたりに動揺が広がった。
 バルクの行為はすぐに書記官たちの知るところとなった。かれらは朗読されたという主の言葉を聞くや、使いを遣わしてバルクを呼び寄せ、その巻物を自分たちにも読んで聞かせてほしい、と頼んだ。再びの朗読が済むと、かれらはみな一様に戦き、互いに顔を見合わせた、或る者がいった、これは王にも伝えなくてはならない、と。或る者が訊ねた、どのようにして主の言葉を書き留めたのか、と。バルクは包み隠さず話した。或る者が忠告した、あなたバルクと預言者エレミヤは急いで身を隠しなさい、誰にも居場所を教えてはならない、と。バルクはそうした。
 書記官たちは王のいる冬の離宮へ向かった。時は九月。既に冬の寒さが迫り、暖炉には赤々と火が燃えていた。かれらは自分たちが聞いた主の言葉を、ヨヤキム王に伝えた。王は件の巻物を取って来させ、自分たちの前でそれを読ませた。書記官たちの場合と異なり、王も側近も一人として、主の言葉に感じるところがなかった。却って王は巻物が数欄読まれる毎にそれをナイフで切り出させ、紙片一葉をその度暖炉の火に投じさせた。書記官エルナタン、デラヤ、ゲマルヤがこれをやめるよう懇願しても、王は耳を傾けることがなかった。それどころか、王子とその側近たちに、バルクとエレミヤの捜索と逮捕を命じた。しかし主が二人を隠したので、誰もバルクとエレミヤを発見できなかった。
 王が巻物を燃やした後、主の言葉がエレミヤに臨んだ。改めて別の巻物を取り、再び口述してバルクに書き留めさせよ。然る後、ヨヤキムにいえ、王は巻物を切って燃やした。王はこう反駁するであろう、どうしてお前エレミヤはやがてバビロニアが攻めて来ると告げるのか、かれらがこの国を滅ぼして人も獣も姿を消すと告げるのか、と。
 エレミヤよ、王にわたしの言葉を伝えよ。曰く、――
 お前ヨヤキムの子孫がダビデの王座に就くことはない。お前の死体は埋葬されることなく外へ放り出され、昼は炎熱に曝され、夜は霜に曝される。「わたしは、王とその子孫と家来たちをその咎のゆえに罰する。かれらとエルサレムの住民及びユダの人々に災いをくだす。この災いは、すべて既に繰り返し告げたものであるが、彼らは聞こうとしなかった。」(エレ36:31)

 「(巻物にわが言葉を残らず書き記せ。)ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す」(エレ36:3)

 「このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。」(エレ36:24)

 エレ36:4で執筆を指示される預言の巻物、これは「エレミヤ書」の失われた初稿でしょうか。エレ36:32で再度の執筆を指示されたものは、今日われらが読む「エレミヤ書」のオリジナル、もしくは失われた初稿を基にした改訂稿、といえるでしょうか。
 版本の遍歴や原稿のヴァージョン違いにまつわる話が好きなさんさんかは、特にこのあたりに(やや過剰に)反応してしまうのであります。学術的にどうか、聖書学的にどうか、なんてことは知りませんが、この記述に拠っていろいろ妄想していると、様々な物語が生まれてきます。



 書き忘れていましたが、数日前、やっと村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社)を読み終えました。いまは次の長編小説、『国境の南、太陽の西』(同)を読んでいます。
 忌憚なくいって、わたくしはこれを好みません。これまでの村上長編・連続読書プロジェクトにて読み得たなかで、時間の徒労、という言葉を斯くも強烈に味わった作品はありませんでした。いちばん嫌悪する一冊。それでも足を停めることなく最後まで読んだのは、覚悟あってのことです。全部読む、そういう覚悟。でなければこんな水増し一辺倒の小説、最後まで読みませんよ。くだらなすぎる。
 これを傑作と呼ぶ人が多く存在するのは知っている。四部作の掉尾を飾る〆括りの作であり、新しい地平に向けての第一歩を示す重要な位置を占める作である、とも聞く。序にいうておけば、〈感想は人それぞれ〉なんてオタメゴカシを口にする気もない。
 しかしながらわたくしは、『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の位置を読むのではない。〈村上春樹〉という稀有の傑作を読みたいと願って、新しい小説、次の本に手を伸ばすのです。パースペクティヴは開けても、『ダンス・ダンス・ダンス』という小説の占める位置は見えたとしても、それがいったいなにになるというのか。◆

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