第1153日目2/2 〈エレミヤ書第39章2/2:〈エベド・メレクへの約束〉with解き放たれた哀れな魂を遊ばせる:ヒルティとパパ・ハイドン〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第39章2/2です。

 エレ39:15-18〈エベド・メレクへの約束〉
 エルサレム陥落以前。エレミヤに主の言葉が臨んだ。
 宦官エベド・メレクに。やがてユダは滅びて多くの人が死ぬ。しかし、あなたは生き残る。敵の剣があなたの血を吸うことはない。命だけは助かる。わたしがあなたを必ず救う、あなたがわたしを信頼したからだ。

 今日、エレ45〈バルクへの言葉〉を清書していたのですが、その流れで一言。
 エレミヤを助け、敬い、礼を尽くした人は、主から幸いを与えられる。件のバルク然り、本章に於けるエベド・メレク然り、であります。それはエレミヤを召命した主が、僕として無私の奉仕を預言者へ行ったことへの、謂わば、ご褒美であったかもしれない。
 上手くいえないのだけれど、自分が召命した者へ見返りを求めることなく奉仕する(場合によっては命の危険さえあったろうに。特にバルクの場合)その姿が、主の目に好ましく映り、斯様な計らいをかれらにもたらしたのかもしれない。――そんな風に思いながら、先の章の清書を行い、顧みて本章との不思議な合致に溜め息した者であります。
 お忘れではないかもしれませんが、いちおう申し上げておくと、エベド・メレクは監視の庭にある水溜へ投げこまれたエレミヤを救うようゼデキヤ王に懇願、それを許されて水溜からの引き上げを実行したクシュ人の宮廷人であります(エレ38:7-13)。



 久しくヒルティの本を読んでいない。枕許には常に、かれの著作集第6巻(「愛と希望」白水社)、未だ訳文に馴れることのできぬ『心の病を治す生活術』(PHP)、アルフレート・シュトゥッキ『ヒルティ伝』(白水社)の三冊があり、いつでも読める状態なのに。
 ひょんなことからシフトの変更を余儀なくされて生まれた休みの日々、いよいよグランド・ファイナルに向かって動き出した黄金の日々が、わたくしの前に茫漠とだけれど広がっている。これらの日々を使って、高校生の時分より愛読していまなお忘れ難き印象を残し、最後のときまで傍らに置き続けるのであろうヒルティの著作と伝記を、たとえ切れ切れの時間を用いることになろうとも、ゆっくりと読んでいきたい、と願う。
 有為転変と感情の齟齬によって生まれた、〈解き放たれた哀れなる魂〉を遊ばせる、限りなき希望と奇跡に満ちた「時」を愉しもう。

 パパ・ハイドンの交響曲を聴きながら、このブログ原稿を書いている。いまBOSEのスピーカーから流れてくるのは、交響曲第98番変ロ長調。演奏はアンタル・ドラティ=フィルハーモニア・フンガリカ(LONDON)。わたくしはハイドンの良きリスナーではないけれど、この演奏はアタリであった。幸福感と高揚感を覚える、実に典雅な演奏だ。
 ショップで購入するのは重複曲目のオンパレードになってしまうので、現在は図書館で借りてくるのが専ら。架蔵の弦楽四重奏曲や器楽曲を含めて、しばらくはハイドン・ルネッサンスが自分のなかで湧き起こり、文字通りの〈シュトゥルム・ウント・ドランク〉(疾風怒濤期)を迎えそうである。◆

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