第1155日目 〈エレミヤ書第40章2/2 & 第41章:〈ゲダルヤの暗殺〉with“朗読”、それは愉悦である。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第40章2/2と第41章です。

 エレ40:13-41:18〈ゲダルヤの暗殺〉
 カレアの子ヨハナンは二回に渡ってゲダルヤへ進言した。ネタンヤの子イシュマエルはアンモン王の手先で、あなたを暗殺するためここへ送りこまれた者です。ようやくミツパへ集まってきたユダの残留民を再び離散・滅亡させないためにも、わたしが行ってイシュマエルを殺してきます。
 が、ゲダルヤはこれを退けた。ヨハナンの勘繰りである、と、かれの進言を退けたのである。イシュマエルをゆめ殺すなかれ。
 七月になった。十人の部下を伴ってミツパを訪れたイシュマエルは、ゲダルヤとの会食中にかれを殺した。続けて、街にいたカルデア人とかれらと一緒にいたユダヤ人のすべても同様に。そればかりか、献げ物を持って旧北王国の町々から偶々やって来ていた人々も、一部を除いてイシュマエルたちの凶行の犠牲となって倒れた。その後、イシュマエルたちは殺戮を免れたユダヤ人全員を捕虜にして、アンモンへ向かった。
 ゲダルヤ暗殺を知らされたヨハナンは直ちに兵力を集め、イシュマエル追撃にかかった。かれらはギブオンにある大池の畔で、逃げるイシュマエルたちの背中を捉えた。追従させられる捕虜たちが背後からやって来るヨハナンたちを見て、歓呼の声をあげた。そのなかをヨハナンたちは進み、イシュマエルたちと剣を交えてこれを散らした。イシュマエルは八人の部下を連れてアンモンへ逃走していった。
 ヨハナンは苦慮の末に決断した。かれはイシュマエルから救い出した捕虜全員を連れて、上古(そのむかし)に父祖が奴隷として暮らしたかの地、即ちエジプトへ逃れる計画を立て、これを実行したのである。そのなかにはエレミヤとバルクの姿もあった。

 アンモン王バアリスの思惑が裏にあったと雖も、バビロニア側からすれば総督ゲダルヤを暗殺したのは自分たちの同胞。バビロニアの怒りを買って更なる迫害、更なる逆鱗を蒙るのは必至、と、ヨハナンは恐れた。それゆえにかれはベツレヘム近郊の街キムハムの宿場に留まり、そこでエジプト脱出計画を立てたのである。
 ━━これがユダ滅亡後にユダヤ人が犯した(記録に残る)最初の罪、主への背反行為の最たるものである、というてよいと思います。このあと、万軍の主はエレミヤに警告を与えてエジプト行きを思い留まらせようとしますが、それはまた明日のお話しです。



 学生時分、図書館で朗読テープを借りて聴き耽ったことがあります。主に聴いていたのは泉鏡花の作品。他に近松秋江や与謝野晶子、国木田独歩など近代文学の朗読があった。
 当時聴いた近代文学の朗読をもう一度。近頃とみにそう願い、今日(昨日ですか)県立図書館に出掛けて泉鏡花『高野聖』と永井荷風『墨東綺譚』を借りました。果たしてかつてテープで聴いたのと同じであろうか。
 鏡花は「なにか違うような気がする」と、小首を傾げる。こんな息荒い、逼迫したような朗読であったろうか。進むにつれて変な違和感は薄れていったけれど、それは単にこちらの耳が馴染んだだけの話。正直なところ、『高野聖』よりは『夜行巡査』と『眉かくしの霊』の方がはっきりと耳に残っているので、同じか否かはっきりと判断できるのだが……。山奥の女性の台詞も同じ男性の朗読ながら、もっと艶やかで色香漂うものであったと思うのだ。
 しかしながら、これを流しながら久しぶりに文庫を取り出して、一頁一頁繰りながら鏡花の技巧を凝らした言葉の魔術に酔うのも、格別の楽しみがある。これを〈法悦〉といわずしてなんというのか。逆にこんな経験を通して、これまでうっかり読み落としていた微妙な言葉の陰影を発見して堪能するのも、一興と申せるであろう。
 一部で朗読は再び活況を呈し始めているようだ。川崎のミューザで朗読劇を聴き、コミックでも朗読をテーマに据えた作品がある。i-Tunesを覗けばオーディオ・ドラマに混じって、内外の文学を中心に多くの朗読作品が群雄割拠している。わたくしもそこでやはり鏡花や荷風や秋江なんて購入して折節愉しんでいるが、声質の自分に合うものに出会うと既に知った作品でも、その人の朗読したものをもっと、もっと、と求めてしまう。それが止むことないのは、そこで買うことのできる朗読が日々増えていっているからであろう。
 わたくしが文学(小説)の朗読に初めて触れ、私有したのはスティーヴン・キングの『GUNSRINGER』であった。これをイギリス行きの飛行機の行き帰り、果ては滞在中もベリンダ・カーライルのテープと一緒に擦り切れる程聴いて、当初はわからぬながらも没頭したものだが、朗読とは一般的な読書とはまた別格の愉悦をもたらしてくれる、文学へのアプローチの一手法である。
 いま聴いている『高野聖』が学生のときに聴いたのと同じかどうかはわからないけれど、こんな風にPCで原稿を書きながら耳を傾けたり、電車のなかで本を開くに難儀するようなときに心平らかにしてその世界へ没入するには、これ以外に最適かつ周囲に迷惑をかけることのないツールを思い付くことはできませんね。
 図書館にあった朗読のCDで他に借りたいものは幾つもある。それが終わったら、i-Tunesの朗読コーナー(?)で『嵐が丘』や『シャーロック・ホームズ』のそれでも購入しようかしら。高いけれどね。
 ━━いつか自分でも朗読に耐えるような小説を書いてみたいですね。◆

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