第1156日目 〈エレミヤ書第42章:〈エジプト行きに対する警告〉with i-Pod touchに取りこまれた音楽たち。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第42章です。

 エレ42:1-22〈エジプト行きに対する警告〉
 ヨハナンたちがエレミヤのところに来た。そうして、あなたの神である主に祈ってください、われわれの歩むべき道を、為すべきことを示してほしいのです、と頼んだ。「良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最前なのですから。」(エレ42:6)
 十日後、主の言葉がエレミヤに臨んだ。かれはヨハナンたちを集めて告げた。曰く、━━
 もしあなたたちがこの地(ユダ)に留まるならば、わたしはあなたたちを絶やしたりしない。カルデア人の王を恐れる必要もない。わたしがあなたたちに憐れみを示す。バビロニアの王もあなたたちに憐れみを示し、あなたたちがこの地に住むのを許す。
 「わたしはあなたたちに降した災いを悔いている。」(エレ42:10)
 もしあなたたちがわたしの警告に従わず、この地を離れてエジプトへ向かうなら、あなたたちはかの地で剣に倒れ、飢えと疫病に倒れる。わたしの怒りと憤りがエジプトの地であなたたちに襲いかかり、恥辱と呪い、恐怖と罵りの的となる。
 あなたたちはいま、致命的な過ちを犯そうとしている。わたしの言葉を求め、わたしの声に聞き従うと決めたのは、あなたたち自身なのに。なぜ、聞き入れようとしないのか。あなたたちはエジプトの地で死ぬ。その死に方は悲惨だ。あなたたちはそのことをいま、はっきりと知らなくてはならない。

 ヨハナンという人物は相当に都合の良い輩であります。「舌の根も乾かぬ内から」という形容が似合うかれに率いられたことこそ、残留したユダの悲劇なのではあるまいか、とわたくしは思うのであります。
 良くも悪くもわたしたちは預言者の語る神の言葉に従います。━━かれは自分の台詞に嘘をつき、思う様に振る舞うことを由とし、それを改めることなんて考えない。或る意味に於いて、聖書に登場する人物の一類型と申せましょうか。



 i-Pod touch(64G)を購入して最初に取りこんだのは、スピッツとブルース・スプリングスティーン、テンシュテットのマーラー、カラヤンのベートーヴェンであった。そのあとでワーグナーのオペラをすべて取りこみ、ワーグナーの管弦楽曲、歌曲、ピアノ曲を。
 びっくりしたのはワーグナーを全部取りこんでも、なお容量がたっぷり余っていることである。これには驚嘆したね。勢いづいてリヒャルト・シュトラウスやプッチーニ、ヴェルディのオペラも……と企んだけれど、さすがにやめておいた。オペラばっかり入っていてもな、とげんなりしたのが正直なところである。
 ゆえにいま、わがi-Pod touchは雑多なヴァリエーションを誇る結果となっている。ワーグナーの大半を削除し、文字通り〈大バッハからAKB48まで〉という状態だ。
 ジャンル的にいえば、クラシックに次いで一大勢力を築いているのがジャズである。これから取りこむ予定なのは、ジェリー・マリガンの『ナイト・ライツ』。G.マリガンのピアノがフューチャーされた表題曲は、エヴァンスのピアノよりも心蕩けさせられる瞬間が、何回もある。これに留まらず、〈プレリュード ホ短調〉など素敵な曲だらけで、村上春樹が「マリガンのレコードはどれを聴いても外れがない」なる意味のことを曰うたのも宜なるかな、というところである(『ポートレート・イン・ジャズ』P130 新潮文庫)。
 もしi-Pod touchを購入することがなかったら、わたくしがジャズを毎日聴くような事態にはならなかったろう。そう考えると、この魔法の箱も人の音楽の好みをずいぶんと変容させ得るアイテムなのかもしれないな、と倩思うのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。