第1160日目 〈エレミヤ書第46章:〈諸国民に対する預言〉1/6withカラヤン指揮ヴェルディ《椿姫》のCDを買いました。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第46章です。

 エレ46:1-28〈諸国民に対する預言〉1/6
 エジプトに。
 ユーフラテス川の畔、カルケミシュの町の近郊に陣を張るファラオ、ネコの軍隊へ向けて。

 エジプトよ、戦いに備えよ。騎馬して隊列を組み、陣形を作って進め。眼前の敵バビロニア軍を蹴散らすために。━━なのになぜ、お前たちは慌てふためき、這々の体で逃げ出すのか。四方からお前たちへ迫る恐怖に、どれだけ素早い者も勇ましき者も、一人として逃れ得ない。恐怖、その名はバビロン。
 「その日は、主なる万軍の神の日/主が敵に報いられる報復の日。/剣は肉を食らって飽き、血を滴らす。/それは、主なる万軍の神のいけにえとなる/北の地、ユーフラテスの岸辺で。/おとめである娘エジプトよ/ギレアドに上り、乳香を手に入れよ。/いくら手当をしても無駄だ/傷がいやされることはない。/諸国民はお前が辱められるのを聞いた。/お前の悲鳴は地を満たす。/勇士は勇士と共によろめき、もろともに倒れる。」(エレ46:10-12)
 エレミヤよ聞け、行って告げよ。そう主がいった。エジプトで告げ、ミグドルで告げ、タフパンヘスとメンフィスで告げよ。バビロニア軍が遠征してエジプト攻撃を実行することについて。
 エジプトは敵を迎え撃つ準備をせよ。が、お前たちに勝利の気運はない。アピスは逃げたのではなく、わたしが追い払ったのだ。エジプトの旗を背負って戦った兵たちはいう、バビロニアの剣から逃れてわれわれを待つ民のところへ、生まれた国へ帰ろう、と。かれらはファラオを指して、騒ぎ立てるばかりで好機を逸する奴だ、と罵る。
 敵は厳然とそこにいて、迫り来たる。さあ、エジプトよ、捕囚となる準備を始めよ。バビロニアが破竹の勢いで上エジプトへ侵攻する。エジプトは雪崩を打って敗走して、かれらの命を求める者の手に渡される。斯様にして、「娘エジプトは恥を受け/彼らは北からの民の手に渡された」(エレ46:24)。わたしイスラエルの神なる主は、テーベの神アモン(※1)を罰し、エジプトの神々とファラオ、それに依り頼む者を罰し(※2)、かれらをバビロニアの王ネブカドネツァルとその軍隊、家来たちの手に渡す。その後、エジプトは再び民草の住まう国となる。
 さて。ヤコブよ、イスラエルよ、恐れるな。わたしはあなたたちを必ず捕囚の地から救い出す。帰ってきて、安らかに住む。何人もあなたを脅かさない。恐れるな、わたしが共にいる。 
 「お前を追いやった国々をわたしは滅ぼし尽くす。/お前を滅ぼし尽くすことはない。/わたしはお前を正しく懲らしめる。/罰せずにおくことは決してない。」(エレ46:28)

 ※1→アモンはテーベの主神で豊饒を司る。後に太陽神ラーと融合、アモン・ラーとして崇められた。
 ※2→ファラオや国民はともかく、かれらの崇める神々まで浚いとる、とは! エジプト人の崇める神々の偶像まで根こそぎ罰することで、万軍の主は自らの力を誇示し、かつ自分に背く者、それに関わった者、敵対する者はすべからくこうなる、と見せしめたか。
 それにしても、イスラエルの神も結構〈天上天下唯我独尊〉なところがありますね。根本で一致する部分があるからこそ、立川市で共同生活も送れるのか━━とは、むろん、冗談であります。

 エジプトとバビロニア、双方の軍隊がカルケミシュの郊外でぶつかりました。エジプトは敗れて、版図は大きく西へ後退します。それは前605年の出来事、エレミヤが人生の中葉で経験した戦争でした。
 エレ46:13-26こそ、まさにバビロニア軍によるエジプト侵攻を預言したものであり、これが前605年に実現した、というわけであります。なお、「イザヤ書」第18-20章と、(これから読む)「エゼキエル書」第29-32章でも、やはり同様の預言がされております。
 『新実用聖書注解』(いのちのことば社 2008)で「エレミヤ書」を執筆した中居啓介はこのカルケミシュの戦いを指して、「史上最大の決戦の一つ」(P1064)と記しています。



 まだ聴けていないのが残念なのですが、今日(昨日ですか)、ブックオフでずっと聴きたくてならなかったオペラのCDを購入しました。何週間、悩んだだろう……?
 それは、カラヤンがミラノ・スカラ座にて上演したヴェルディ《ラ・トラヴィアータ》、所謂《椿姫》。リチャード・オズボーン著す伝記『ヘルベルト・フォン・カラヤン』(白水社)では「歴史に残る壮絶な失敗に終わった」(下巻 P167)と記される、1964年12月、ミラノ・スカラ座での《ラ・トラヴィアータ》です;GL 100.506。
 12月17日の公演初日に大ブーイングを浴びて降板したミレルラ・フレーニに代わって、アンナ・モッフォが登板した二日目、22日のライヴ録音がこれですが(今日じゃん!! 48年前だけど。……48?)、わたくしは、ちょっとしたカラヤン伝であれば大抵出てくるこの挿話に引っ掛かりを感じて、爾来、なんとかして聴いてみたいものだ、と願っておったのですが、それがようやく手に入れられたわけであります。
 オズボーンは当時の録音について、歌手の声を殺してはいないもののオーケストラは冷淡である旨、書いておりますが、果たしてわたくしの耳にはどう聞こえるのかな。カラヤンとこのオペラの相性が単に悪いだけのようにも思うし、種々の記録に残るようなスキャンダルに見舞われたらその後は振る気も失せるのかもしれないな、とも思うし……。どちらにせよ、カラヤンもこのオペラも両方好きなわたくしとしては、単純に聴くのが楽しみでならない一組であるのであります。
 さて。ちゃんと聴く前に録画機のHDDの容量を増やさないとな。オペラとドラマはDVD-Rに焼いて、と……。◆

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