第1162日目 〈エレミヤ書第48章:〈諸国民に対する預言〉3/6with見えない壁の向こうに、いったい誰が待っているっていうのさ?〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第48章です。

 エレ48:1-47〈諸国民に対する預言〉3/6
 モアブに。
 かの国はかつて栄えたが、衰退する。その後はアッシリア、バビロニアの支配下に置かれた。

 モアブの栄誉は失われた。敵の剣が後ろから迫る。国のあちこちから悲鳴があがる。略奪者たちが襲いかかり、誰も逃れられない。一つの町の叫び声は遠くの町々へまで響き渡る。谷は滅び、野は荒らされる。モアブの町は廃墟となり、モアブの国土は荒廃する。
 モアブは恥を受けて滅びる。その傲慢、その慢心ゆえに。諸国民はあまねくそれを聞く。モアブの民は町を捨てて富を失い、岩山に住み処を作る。かれらは尾羽打ち枯らして粗布を身に纏う。

 「主に向かって高ぶったモアブを、酔いしれたままにしておけ。モアブはへどのなかに倒れて、笑いものになる。」(エレ48:26)
 「なんという破滅か。嘆くがよい。ああ、モアブは恥じて背を向ける。モアブは周囲の国々の笑いの種となり、驚きとなる。」(エレ48:39)
 「しかし、終わりの日に/わたしはモアブの反映を回復すると/主は言われる。」(エレ48:47)

 モアブとイスラエル/ユダの因縁が浮き彫りになる一章、といえましょうか。
 士師の時代頃までは、イスラエルとモアブの関係は良好であった、といいます。サムエル-サウルによるイスラエル王国樹立以後、双方は敵対し、モアブは国土の一部がイスラエルに占領されるようにもなった。時はずっと流れて南王国ユダが滅亡し、捕囚を免れたユダヤ人が多くモアブへ流入。それをモアブ人は、意趣返しもあったろうか、嘲ったり罵ったりした。それゆえ、ペルシア王キュロスによる捕囚解放が宣言されてユダヤ人が帰還すると、かれらはかつて自分たちを嘲笑したモアブ人を、逆に蔑み、敵意に満ちた目で見、決して快くは思わなかっのです。
 そんな事例を頭に入れて読むと、間もなく到来する未来を視野に入れての預言のように思えてしまうのは、果たしてわたくしの気のせいでしょうか。斯様なことあったがために、モアブ人とは「罪人」、「邪な者」と同義となった由。



 トナカイを酷使して世界を回るサンタさんの日、みな様いかがお過ごしでしょうか。今年もフィンランドのヒゲ面お爺ちゃんからプレゼントをもらえなかったさんさんかです。
 東方神起「Share The World」(『ONE PIECE』!!!)を聴きながら溜め息MAXでキーボードを叩いている今。見えない壁の向こうには誰も待っていないのさ、と、独りごちながらね。なにもする気が起こらず、なにを思う/想う気もなくなる、魂を吸い取る夜ですよ。独り者には肩身の狭い日々が、これからしばらく続きますな。
 本当はクリスマス音楽のエッセイでも、と考えていたのですが、とてもじゃないがそんな気分には馴れないので、愚痴めいた、これからの人生をたった一人で生きることにした者の心情吐露となったことをお詫び申し上げます。
 手を伸ばして届く場所に、信じられる一つの明日なんて、ないんだよ……。◆

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