第1163日目 〈エレミヤ書第49章:〈諸国民に対する預言〉4/6withわれながら恥ずかしい話。〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第49章です。

 エレ49:1-39〈諸国民に対する預言〉4/6
 アンモンへ。
 なぜガド(族)へ与えた土地にミルコム(モルク)が坐すのか。なぜその土地にミルコムを信じる者が住んでいるのか。
 わたしはアンモンのラバに鬨の声を響かせる。ラバの町は廃墟となり、その他の町々も同様に。民は四散して、それを追う者はない。
 しかし、わたしはアンモンの人々の繁栄を回復する。

 エラムへ。(ゼデキヤ王の御代、エレミヤに臨んだ主の言葉)
 わたしイスラエルの神なる主はエラムから武器を奪い、四方から恐怖の風を吹かせる。そのせいでエラムからの難民が周辺国にあふれる。
 わたしはかれらに災いを臨ませ、かれらの背後に剣を送る。エラムの王侯貴族は絶たれて、そのあとにわたしは自分の王座を据える。
 しかし、わたしは終わりの日に、エラムの人々の繁栄を回復する。

 ケダルとハツォルの諸国へ。
 バビロニアの王ネブカドレツァルの魔手が迫る。住民は彼方此方へ、何処なりとも逃げ行け。ケダルは滅び、ハツォルは永久の廃墟となる。

 ダマスコへ。
 周辺諸国からもたらされる悪い知らせに、ハマトとアルバドは不安を露わにし、恐れ戦いている。激しい痛みがダマスコを捕らえる。ダマスコは力を失い、身を翻して遁走する。
 わたしイスラエルの神なる主はダマスコの城壁に火を放つ。その火はベン・ハダドの城壁を焼き尽くす。

 エドムへ。
 逃げよ、避けよ、隠れよ。わたしがエサウに災いを降し、かれらを罰するときが来る。かれらが所有するものは根こそぎ浚いとられる。わたしはかれを身ぐるみ剥がして隠れ場所を暴く。エサウの子孫は滅びた。
 エドムを攻め落とせ、というわたしの命令により、諸国が軍馬の蹄、兵士の鬨を轟かせて、地平線の向こうから上ってくる。エドムが倒れる。その倒れる音は大地を揺り動かし、叫び声は葦の海(紅海)にまで聞こえる。羊の幼きまでが引き連れられてゆく。
 「わたしの怒りの杯を、飲まなくてもよい者すら飲まされるのに、お前が罰を受けずに済むだろうか。そうはいかない。必ず罰せられ、必ず飲まなければならない。わたしは自分自身にかけて誓う、と主は言われる。ボツラは、廃墟となり、恐怖、恥辱、ののしりの的となる。その町々は皆、とこしえの廃墟となる。」(エレ49:12-13)
 「見よ、獅子がヨルダンの森から/緑の牧場に躍り出るように/わたしはエドムを襲い/一瞬のうちにかれらを追い散らし/わたしが選んだ者に、そこを守らせる。/誰か、わたしのような者がいるだろうか。/誰が、わたしを召喚するだろうか。/羊飼いのうち誰が、わたしに挑むだろうか。」(エレ49:19)

 エドムへの預言が中心になった章。エドムに対して行を費やし末路が細描され、しかも回復の約束がされないのは、やはり、その昔、エサウがヤコブに対して犯した罪ゆえか。エサウはエドム人の先祖。イサクの子でヤコブの双子の兄。ex;創25-36,殊に同36:8。
 敢えて順番を変えたことをお断りしておきます。繁栄の回復から徹底した廃絶へ。そうした方が据わりがいいかな、と思うたまでの話です。本来は、アンモン(1-6)→エドム(7-22)→ダマスコ(23-27)→ゲダル/ハツォル(28-33)→エラム(34-39)、となります。
 いよいよ「エレミヤ書」も最後のコーナーを廻り、ゴールが視界に入ってきました。



 最近、独自のやり方であったタイピングを基本からやり直そうとして、まさかのホームポジションから勉強し直している、という、われながらお恥ずかしい話。これまでがこれまでだけに鈍(のろ)くていらいらしてきて、ブログの更新自体匙を投げようか、と誘惑されることしばしばな数日です。
 そのせいでこれだけの文章をノートから打ち直すのに、普段の倍近くはかかっている。しばらく更新時間が遅れることが予想されますが、ちゃんと毎日新しい原稿を公開してゆくので、長い目でお待ちいただけるとうれしいです。
 文章が段々と自分のものではなくなってゆくような気がする……。◆

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