第1167日目 〈エレミヤ書第52章1/2〈エルサレムの陥落〉withブラームス「合唱と管弦楽のための作品集」を聴きながら、……〉 [エレミヤ書]

 エレミヤ書第52章1/2です。

 エレ52:1-30〈エルサレムの陥落〉
 ゼデキヤ王は即位して9年目、憂い悩んだ末、官僚の意見に圧されて遂に反バビロニアの狼煙をあげた。それは王国滅亡を決定的とする行為であった。
 ネブカドネツァル王が自ら全軍を率いて遠征して来、到着後ただちにエルサレムを囲むように陣が敷かれ、防塁が築かれた。外部との接触を断たれたエルサレムは次第に困窮していった。敵の兵糧攻めに二年間持ちこたえたエルサレムであったが、その間にも都の防御は弱まってゆく一方だった。そうして第11年4月9日、運命の刻は訪れた。城壁の一角が破れて、敵軍が市中へ雪崩れこんできたのである。
 人々は逃げ惑い、王都を脱出する者が続出した。他ならぬゼデキヤ王もその一人であった。かれは僅かの兵を連れて都をあとにしたが、その逃亡劇も長くは続かなかった。バビロニアの追跡隊がゼデキヤ王を、エリコ近郊の荒れ野で拘束したのである。ゼデキヤ王はネブカドネツァル王の前に引き出された。ネブカドネツァル王はゼデキヤの息子二人をかれの眼前で処刑し、ゼデキヤの両眼を潰し、その後バビロンへ連行した。かれは敵国の首都の牢屋に繋がれて一生をそこで過ごした。
 同年5月10日、バビロニアの親衛隊隊長ネブザルアダンは勅令を承け、エルサレム市街の建物を焼き払った。家屋のみならず、王宮や、ソロモン王が建立した神殿さえも。例外はなかった。前回の(最初の)占領時は神殿へ残された祭具なども、このとき一切合財がバビロンへ持ち去られた。
 また、ネブザルアダンは勅令によって、捕囚とはなり得ぬ無産の貧困層をユダの地に残した。かれらには耕地とぶどう畑が与えられた。かれらの監督役にはユダ王宮の役人であったゲダルヤが任命されるが、かれにまつわる諸々は既に別の章で述べた。
 斯くしてエルサレムは陥落し、ユダ王国は滅亡した。

 並行箇所になく「エレミヤ書」にはある記述に、バビロン捕囚の人数がある。以下に書き留める。
 ・ネブカドネツァル第7年:3,023人(前598年。但し、第17/前588年節有り。岩波Ⅷ『エレミヤ書』P320注2など参照)
 ・同第18年:832人(前587年。エルサレム陥落/第三次バビロン捕囚)
 ・同第23年:754人(前582年。第四次バビロン捕囚)
━━総人数、4,600人云々。
 これ以前にもヨヤキン王の御代にネブカドネツァルはエルサレムを占領、役人や兵士、職人たちなど約一万数千人を捕囚として連行していた。これが、第一次バビロン捕囚である(ex;王下24:14-16)。

 「エレミヤ書」にとって第52章は補遺という以上に、かれが何度となく伝えてきた主の言葉が歴史的事実としてここに実現した、と報告する役割を持っている。ゆえにノートにも些かの力が入ってしまい、「列王記」やオリエント史などを改めて学ぶことができた。
 ネブカドネツァル王側の年記について、幾つかの研究書や注釈書で微妙に異なるため、ここでは岩波版「エレミヤ書」脚注に従ったことを、記してお断りしておきます。
 明日のエレミヤ書第52章2/2を以て「エレミヤ書」は終わります。



 NAXOSからリリースされているブラームスの「合唱と管弦楽のための作品集」を流しながら、PCでの清書作業を行っていたのですが、これが第52章にぴったりと合う。特に2曲目、〈埋葬の歌〉Op.13と3曲目、〈アルト・ラプソディ〉Op.53。胸を抉るような切々とした訴えの声が、まるで旧約聖書の乾いた大地に染みこむようなのです。
 前から欲しいな、と思っていたこのCD。退職してしばらく蟄居する身には、あまりに切ない響きに満ちていて、正直なところ、聴き通せるかどうか不安でたまりません。それを克服するために、荒療治としてレヴューの一つでも書いて本ブログか別名義のブログかでお披露目すれば、すこしは気持ちも安らかになるのかもしれない……。
 しかしながら、本盤は頗る付きで普段クラシック音楽に馴染みのない方にもオススメ。歌詞の意味なんてわからなくて構わない。西洋文化の基盤などについて無知であっても全然OK。ただひたすらこの美しくて、透明で、素朴で、しかし魂を慰撫して暖かく包みこんでくれるような、そんな優しさと温もりがたくさん詰まった一枚です。
 エヴァ・ヴォラク(A/Op.53)=ワルシャワ・フィルハーモニー合唱団・管弦楽団=アントニ・ヴィト(指揮) NAXOS 8.572694◆

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