第1182日目 〈「哀歌」前夜with夜更けにムンクの真似をする。〉 [哀歌]

 ダビデ王朝の系譜を伝えるユダ王国は東の蛮族、カルデア人ネブカドネツァル王率いる新バビロニア帝国の前に為す術なく倒れた。ユダの街は壊滅し、エルサレムの都は陥落した。主が預言者を通じて与えたあらゆる警告を無視して、正しい道に立ち帰ることなく犯し続けた罪のゆえに。
 「哀歌」は王都滅亡を目撃した預言者エレミヤの作、といつの頃よりか伝承されてきました。そこへ込められた悲痛極まりない叫びが、〈哀しみの預言者〉エレミヤの嘆きに重なり、作者に仮託された。が、その後の研究により「哀歌」の作者はエレミヤでないことが判明しています。出自も身元も定かでない無名氏による、というのが実際のようです。
 しかし、とさんさんかは思うのであります。なによりも、古の人がこれをエレミヤ作としたところに、われらは往古の人々がそこへ託した想いを汲み、「哀歌」が孕んで後へ伝えんとした〈情(こころ)〉に想いを馳せるべきではないか、と。聖書学者でもキリスト者でもなく、ただ、聖書を一つの神話と歴史が混在する叙事詩として読み、就中この「哀歌」にしても一つの文学として読むことを希望する者として、そう思うのであります。
 「哀歌」は哀しみと悔恨の詩篇です。単純に「町が滅んだ」、「国がなくなった」というのではない。依り頼むべき存在、即ち主なる神を失ったイスラエルの嘆きが、全編を支配している。離散を経験し、自らが拠って立つところのアイデンティティを喪失したイスラエルの迷いが、怒りが、叫びが、恐れが、ここには漂っている。人心に訴えかける点では、かの「ヨブ記」に肉迫する、というてよいでしょう。
 全5章242編で構成された「哀歌」を読むと、古今の作曲家が腕によりをかけてこれに付曲した事実も、成る程宜なるかな、と納得させられることであります。タリスやパレストリーナ、ペルティなど、音盤で聴けるものは幾つもあります。「哀歌」を読んだ読者の何人かでもいい、店頭でもネットでも探して聴いていただけたら嬉しいな。さんさんかはそんな風に願っています。
 では、明日から5日間、「哀歌」を読んでゆきます。よろしくお付き合いください。



 おう、なんてこったい……。ショック・ラージ、ってこのことか、わが友よ?
 ――手持ち無沙汰になったので、iTunesのプレイリストをちょっこら弄(いじ)くっていたのね。そうしたらさ。なにかの拍子になにかをやっちゃったんだろうな、或るアーティストのファイルが半分ばかり消滅してさ。思わずムンクの「叫び」状態になっちまったぜ。デストローイ、って感じで。
 で、いまこれを書きながらディスク入れ直して読みこませて、一生懸命ファイルを復元中だ。あちこちに散らばっているCDを一箇所にまとめるいい機会なので、こんな手のかかる方法を採っている。負け惜しみ? ああ、若干な。でも、レンタルで済ませているアーティストでなくて、良かった。その点だけは胸を撫でおろしている。サンキー・サイ。
 サンキー・サイ、といえば、先日、キングの中編集『FULL DARK,NO STARS』からの翻訳第一弾、即ち『1922』が書店に並んだ(文春文庫)。収録作は、禁酒法時代のアメリカ片田舎で起こった殺人事件を回想する表題作「1922」、〈悪魔との契約〉をキング流に料理したスーパーナチュラルもの「公正な取引」の計二本。残りは追って刊行予定の由。
 一年の計はなんちゃらなんちゃら、というが、今年はキング・ファンにとって久々に翻訳ラッシュを味わえそうな幸せを感じている。そろそろケネディ暗殺を扱った長編も日本語で読めるのかな。『ダーク・タワー』シリーズの番外的長編『The Wind Through the Keyhole』の翻訳も、心待ちにしたいですね。中編よりちょい長めな同書はシリーズ第4.5作目、という位置附けになります。これは久しぶりにハードカバーで購入したキングの新刊本でした。
 嗚呼、悠長に村上春樹を読んでいる場合じゃないぜ?◆

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