第1183日目 〈哀歌第1章:〈第一の歌〉withシューベルト・ルネサンス、再び。〉 [哀歌]

 哀歌第1章です。

 哀1:1-22〈第一の歌(アルファベットによる詩)〉
 主の怒りによってエルサレムは傷付き、倒れた。シオンのおとめは貧苦に喘いで、苦役を課された。かれらは敵に捕らわれて、遠くの国へ引き連れられてゆく。異国民のなかでシオンが慰めを、やすらぎと憩いを得るのは、最早夢物語に等しかった。
 ユダが滅びてシオンが捕囚となったのは、主の口に背いたゆえのことだ。罪に罪を重ねて、悔い改めることがなかったからだ。シオンが犯した罪は拭いがたく、甚だ重かった。それがため、主は自分の名が置かれた都へ蛮族が侵入して、跋扈するのを許した。
 シオンが助けを求めて、友らへ手を伸ばす。が、その手を取る者はいない。却ってかれらは倒れたシオンを嘲笑う、かつて天の下にあまねくその栄光を知らしめたシオンがいまやこの様か、と。シオンが愛する者へ呼びかけても、誰も応えない。みながみな、シオンを裏切ったからだ。
 哀しみのシオンは慰めを、やすらぎと憩いを、そうして報復を望む。「聞いてください、わたしの呻きを。/慰めてくれる者はありません。/敵は皆、わたしの受けた災いを耳にして/あなたの仕打ちを喜んでいます。/彼らにも定めの日を来たらせ/わたしのような目に遭わせてください。/敵の悪事が御前に届きますように。/あなたの懲らしめを受けますように。/あなたに背いたわたしが/こんなにも懲らしめられたように。/わたしはこうして呻き続け/心は病に侵されています。」(哀1:21-22)
 が、それは得られず、与えられない。イスラエルを愛した神なる主からも……。

 「夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。/彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。/友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。」(哀1:2)
 ――これは聖書全編のうちでも屈指の表現といえましょう。問答無用で魂を揺さぶられます。心ある方々よ、あなたはどうですか?

 「哀歌」は基本的にどの章も性格を同じうし、また内容に進展があるわけでもない。どの章を読んでも同じように思え、読んでいると退屈だ、という声も稀に仄聞いたします。確かにその通りであります。さんさんかもその意見に異論はありません。それに汲みすることになんの躊躇いも持ちません。いうてみれば、「哀歌」は一種の変奏曲であります。
 が、この「哀歌」が万人必読の一書、と申し上げてもよいように思います。言葉を誠実に重ねてゆくことで抑制の効いた表現を作りあげた作者の理性。一つ一つの言葉、表現の外へじわじわと哀しみを吐露してゆく作者の想いの激しさ。
 いずれを取っても、古代文学としてのみならず、今日まで連綿と続く世界文学の流れのなかでも特筆すべきものを持っている。宗教の別なく頭を垂れてそこから聞こえてくる声に耳を傾けて然るべきだ、とわたくしは思うのであります。



 ピヒト=アクセンフェルト弾くシューベルトのCDを購入。おお、シューベルトの季節の訪れぞ。覚えておいでか、モナミ?◆

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