第1186日目 〈哀歌第4章:〈第四の歌〉with鋼のような神経を持つ俺?;墓参の帰り、村上春樹『国境の南、太陽の西』を読んでいて。〉 [哀歌]

 哀歌第4章です。

 哀4:1-22〈第四の歌(アルファベットによる詩)〉
 かつて輝いていた黄金はいまや光を失い、土の器と揶揄されるまでに堕ちた。都のあちこちには聖所の礎であった石が打ち棄てられている。
 敵の剣にかからず辛うじて生き延びた者は、身分の上下にかかわらず飢えに街を彷徨う。痩せ衰えたかれらの皮膚には皺が寄り、肉は殆ど失われて骨に付き、その姿はあたかも枯れ木の如く。飢饉が街を襲う以前は思慮深く、愛情深かった母親も、いまではわが子を煮炊きして食べるようになった。
 げに主の怒りは凄まじかった。怒りの炎は激しく燃え盛り、都の礎までも舐め尽くした。われらの敵が都の城門から堂々と入ってくるなど、いったい何人が想像したであろう?
 「剣に貫かれて死んだ者は/飢えに貫かれた者より幸いだ。」(哀4:9)
 われらが斯様に苦しめられるのは、エルサレムの預言者たちの罪、祭司たちの悪ゆえだ。エルサレム市中に正しく人々の血を流させたからだ。見よ、かれらが街のあちこちを彷徨っている。人々はかれらを指して罵倒する。国々はかれらを疎んじて忌み嫌う。嗚呼、主はその御顔をわれらから背け、再び目を留めようとしない。
 「町の広場を歩こうとしても/一歩一歩をうかがうものがある。/終わりの時が近づき、/わたしたちの日は落ちる。/まさに、終わりの時が来たのだ。/わたしたちに追い迫る者は/空を飛ぶ鷲よりも速く/山々にわたしたちを追い回し/荒れ野に待ち伏せる。」(哀4:18-19)
 ――エドムの地に住む者らよ、われらが落剥を見て喜び、祝うがよい。やがては汝らもわれらと同じ目に遭うだろう。「おとめシオンよ、悪事の赦されるときが来る。/再び捕囚となることはない。/娘エドムよ、罪の罰せられるときが来る。/お前の罪はことごとく暴かれる。」(哀4:22)

 「主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹/その人が彼らの罠に捕らえられた。/異国民の中にあるときも、その人の影で/生き抜こうと頼みにした、その人が。」(哀4:20)

 ティンデル『エレミヤ書/哀歌』の著者R.K.ハリソンはゼデキヤ王を「悪王」と断じる。が、エレミヤ書を読んできたわたくしの目に映るゼデキヤは、むしろ、〈本音〉と〈建前〉の板挟みになった王だ。官僚の独走を抑えきれず、やむなく抗バビロニア政策を断行せざるを得なかった人物、歴史の流れと神の意向に添うことが出来なかった人物、と映るのだ。
 或るときは主からエレミヤを通じて、バビロンへ連れてゆかれても最期は讃えられて逝くことができる、と預言されたゼデキヤ(エレ34:4-5 第1147日目)。結局は正反対の末路を辿ることになるが、それでも捕囚としてかの地へ連行されたユダの民にとって、かれの存在は〈希望〉である。たとえ後世の歴史家、聖書学者がゼデキヤに負の評価を与えても、あの時代を生きたユダの人々にとってゼデキヤは自分たちの国を統治した、紛うことなき〈王〉だ。ダビデの血を受け継いで、黄昏のユダ王国の玉座に在った人物である。
 そんなゼデキヤを、見ず知らずの土地へ強制的に連れてゆかれたユダの人々がかれの存在を頼みとして生きてゆこう、と縋るのは、理にかなた心情ではあるまいか?
 さんさんかは、そう思うてならぬのであります……。
 明日の更新を以て「哀歌」は終わります。



 先日の大雪は神奈川県西部にその爪痕を残さなかったらしい。今日(昨日ですか)、母方の墓参に従って行って、そうと知った。倉庫在籍中にきちんとした転職先(否、就職先、というべきなのか)が見附かったこと、そこに骨を埋める覚悟も出来そうな良き企業であること、など、様々感謝の気持ちを伝えに行ったのです。
 大切ですよね、ご先祖様あってこそ、いまのわれらが――この汚濁末法の時代とはいえ――こうして生きていられる。父祖を蔑ろにする輩と知り合うにつけ、この人たちの神経はどうなっているんだろう、とつくづく疑念を感じてならぬさんさんかです。こうしたことをきちんと出来る伴侶を得られたら良いよね?
 山一つ越えたところにかの人の住まう町がある(いまでもそうなのかは知らないけれどネ)。そんなときに、村上春樹『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)を読んでいる、しかも、いちばん、ぐさり、と抉られる部分を読んでいる。想いはいろいろ去来し、諸々ほじくり返される記憶とどうにか折り合いをつけながら、じっと、風邪気味なのにさっさと帰宅すればいいのに、常連っぽクナっているらしいスターバックス2軒をハシゴして読んでいたのだから、いや、まったく神経が図太いものであります(「クナ」を片仮名とした点に、そのときiPodで聴いていた音楽をご想像いただきたい!)。
 なお、そのとき〈行きつけ・その6〉のSBで読んでいたのは、文庫でいえば下巻P229-262,第14章。家族も仕事もすべて捨てて、わたしを選ぶことが出来るの? わたしのすべてを、あなたの知らないわたしをすべて受け止めて一緒になる覚悟が、あなたにはあるの? ……そうして主人公と幼馴染みは箱根で窮極の一夜を共にして――朝の訪れが見事なまでの喪失がもたらす。そこから先は、ごめん、まだ読んでない。
 おお、わたくしの心情を、読者諸兄よ、お察しあれっ!!
 馴染みのクラブの、前田敦子似の女の子に一度いわれたことがあるんだけれど、傷口に塩を塗られる事態に直面していても超絶ベタ甘な小説や相思相愛の官能シーンを、嫌であっても巻を閉じることなく読み進めることの出来るのだから、いやぁ、おいらはけっこう鋼のような心を持っているのかもしれない、と、ふと思い出して倩納得することでありますよ。うむ。

 ――これを書きながら、坂本九を聴いていた。ぐしゅん、と泣けてきた。鼻水じゅるじゅる出るから、もう寝るわ。なんだか頭も朦朧としてきたし(風邪薬服用済み)。
 ぷん。◆

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