第1239日目 〈エゼキエル書第25章:〈アンモン人への預言〉、〈モアブへの預言〉他with遅ればせながら、ブログのタイトルを変更しましたよ、ってお知らせさせていただきますね?〉 [エゼキエル書]
エゼキエル書第25章です。
エゼ25:1-7〈アンモン人への預言〉
(主による諸国への預言。アンモン人へ、――)
お前はわたしの聖所が汚されるのを見、イスラエルの地が荒らされてゆくのを見、ユダの人々が捕囚となって連れてゆかれるのを見た、お前はいずれのときも、あはは、と笑い転げた。それゆえにわたしはお前を東の人々の手に渡す。お前たちの土地はかれらのものとなり、都ラバは牧草地のようになる。
アンモン人はユダの没落を嘲笑した。ユダの没落を大いに喜んだ。
わたしはお前を裁き、侵略者たちの為すがままに任せ、アンモン人を諸国民のなかから絶つ。わたしはお前を決して、そう、決して許さない。諸国から滅ぼし尽くしてこの地から断つ。今後、地上の誰彼がアンモン人を思い起こすことはない。
そのときだ、お前たちがわたしを主であると知るのは。
エゼ25:8-11〈モアブへの預言〉
(主による諸国への預言。モアブへ、――)
モアブとセイルは一緒になってユダの末路について、まるでこうなると知っていたかのように、したり顔で発言した。ゆえ、わたしはモアブの脇腹を突き、モアブの町という町、モアブ全土を慈悲も例外もなく滅ぼし尽くす。
アンモン人同様、モアブも東の人々の手に渡し、所有させる。わたしがモアブを裁く。そのとき、かれらはわたしが主であることを知るだろう。
エゼ25:12-14〈エドムへの預言〉
(主による諸国への預言。エドムへ、――)
エドムはユダに反旗を翻し、復讐するに及んだ。復讐は大いなる罪である。ゆえにわたしは手を伸ばし、エドムの地から生きとし生けるものすべてを断ち、荒れ地とする。わたしはイスラエルを用いてエドムへ制裁を加える。かれらはわたしの復讐を知るだろう。
エゼ25:15-17〈ペリシテへの預言〉
(主による諸国への預言。ペリシテへ、――)
ペリシテはこれまで何度となくイスラエルと衝突し、憎しみゆえにイスラエルを滅ぼそうとしてきた。わたしはペリシテへ手を伸ばし、クレタ人を断って海辺の民をこの世から一掃する。わたしはかれらに、大いなる憤りを以て復讐する。そのときかれらはわたしがイスラエルの神なる主であると知ることだろう。
一連のエルサレム滅亡に関する預言が一段落したあとでエゼキエル書が言及するのは、イスラエル/ユダの周辺諸国への預言の数々であります。
まずは手始めにたびたびイスラエルへちょっかいを出してきたアンモン、エドム、ペリシテなどへの預言。次章以後、ティルス、エジプトというイスラエルにとってゆめ看過できぬ国々に対しての預言が続きます。
イザヤ書でもエレミヤ書でも同様の預言はされてきましたが、どうにも読んでいる限り、いちばん激烈なのはこのエゼキエル書である、と思います。
既にお気附きと思いますが、ブログのタイトルを変更しました。たしか、今月18日だったかな。これで当面は落ち着きそうです。
エゼキエル書が終わったあとにするんじゃなかったっけ? そんな諫め言が聞こえてきそうですが、なに、気にしない、気にしない。予定は未定にして決定に非ず、とはさんさんかが大好きな言葉の一つであります。◆
エゼ25:1-7〈アンモン人への預言〉
(主による諸国への預言。アンモン人へ、――)
お前はわたしの聖所が汚されるのを見、イスラエルの地が荒らされてゆくのを見、ユダの人々が捕囚となって連れてゆかれるのを見た、お前はいずれのときも、あはは、と笑い転げた。それゆえにわたしはお前を東の人々の手に渡す。お前たちの土地はかれらのものとなり、都ラバは牧草地のようになる。
アンモン人はユダの没落を嘲笑した。ユダの没落を大いに喜んだ。
わたしはお前を裁き、侵略者たちの為すがままに任せ、アンモン人を諸国民のなかから絶つ。わたしはお前を決して、そう、決して許さない。諸国から滅ぼし尽くしてこの地から断つ。今後、地上の誰彼がアンモン人を思い起こすことはない。
そのときだ、お前たちがわたしを主であると知るのは。
エゼ25:8-11〈モアブへの預言〉
(主による諸国への預言。モアブへ、――)
モアブとセイルは一緒になってユダの末路について、まるでこうなると知っていたかのように、したり顔で発言した。ゆえ、わたしはモアブの脇腹を突き、モアブの町という町、モアブ全土を慈悲も例外もなく滅ぼし尽くす。
アンモン人同様、モアブも東の人々の手に渡し、所有させる。わたしがモアブを裁く。そのとき、かれらはわたしが主であることを知るだろう。
エゼ25:12-14〈エドムへの預言〉
(主による諸国への預言。エドムへ、――)
エドムはユダに反旗を翻し、復讐するに及んだ。復讐は大いなる罪である。ゆえにわたしは手を伸ばし、エドムの地から生きとし生けるものすべてを断ち、荒れ地とする。わたしはイスラエルを用いてエドムへ制裁を加える。かれらはわたしの復讐を知るだろう。
エゼ25:15-17〈ペリシテへの預言〉
(主による諸国への預言。ペリシテへ、――)
ペリシテはこれまで何度となくイスラエルと衝突し、憎しみゆえにイスラエルを滅ぼそうとしてきた。わたしはペリシテへ手を伸ばし、クレタ人を断って海辺の民をこの世から一掃する。わたしはかれらに、大いなる憤りを以て復讐する。そのときかれらはわたしがイスラエルの神なる主であると知ることだろう。
一連のエルサレム滅亡に関する預言が一段落したあとでエゼキエル書が言及するのは、イスラエル/ユダの周辺諸国への預言の数々であります。
まずは手始めにたびたびイスラエルへちょっかいを出してきたアンモン、エドム、ペリシテなどへの預言。次章以後、ティルス、エジプトというイスラエルにとってゆめ看過できぬ国々に対しての預言が続きます。
イザヤ書でもエレミヤ書でも同様の預言はされてきましたが、どうにも読んでいる限り、いちばん激烈なのはこのエゼキエル書である、と思います。
既にお気附きと思いますが、ブログのタイトルを変更しました。たしか、今月18日だったかな。これで当面は落ち着きそうです。
エゼキエル書が終わったあとにするんじゃなかったっけ? そんな諫め言が聞こえてきそうですが、なに、気にしない、気にしない。予定は未定にして決定に非ず、とはさんさんかが大好きな言葉の一つであります。◆
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