第1242日目 〈エゼキエル書第28章1/2:〈ティルスへの預言〉3/3with竹内政明『「編集手帳」の文章術』を読みました。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第28章1/2です。

 エゼ28:1-19〈ティルスへの預言〉3/3
 エゼキエルよ、ティルスの統治者にいえ。お前は諸国との交易によってもたらされた富ゆえに高慢になり、自分を(あろうことか)神になぞらえた。お前は知恵と悟りを駆使して富を築き、それがためにお前の心は高慢になったのだ。
 わたしは周辺諸国のうちで最も暴虐な外国人をお前に立ち向かわせる。お前の栄華を汚し、お前を陰府へ、冥界へ突き落とす。抗うな、お前は人であって神ではない。ティルスの統治者よ、わたしはお前を、未だ割礼を受けていない者、即ち男でありながら戦士ではない男として、外国人の剣にかかって死ぬ。

 ティルスへの嘆きの歌/哀歌(一部略)
 「お前はあるべき姿を印章としたものであり/知恵に満ち、美しさの極みである。/お前は神の園であるエデンにいた。/あらゆる宝石がお前を包んでいた。/(中略)(お前は交易がもたらした富でより美しくなった。)お前の心は美しさのゆえに高慢となり/栄華のゆえに知恵を堕落させた。/わたしはお前を地の上に投げ落とし/王たちの前で見せ物とした。/お前たちは悪行を重ね、不正な取り引きを行って/自分の聖所を汚した。/それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ/お前を焼き尽くさせた。/わたしは見ている者すべての前で/お前を地上の灰にした。/諸国の民の中で、お前を知っていた者は皆/お前のゆえにぼう然とする。/お前は人々に恐怖を引き起こし/とこしえに消え失せる。」(エゼ28:12-13,17-19)

 人間は誰しも権力を掌中にすると己を神、或いはそれに準じた存在になぞらえたくなるらしい。それが愚かな所行と果たして言い得るか? 権力者にしかわからない情というものもあるのだろうが……。
 が、いずれにせよ、必ずしっぺ返しは喰らう。このティルスの統治者ばかりではない。洋の東西を問わず、歴史を繙けば容易に例となる人々を、現代のわれらは見出すことができる。自分はそうならない、とは誰にもいえまい。どれだけ小さな組織でも、斯様な人物を生み出すことはできるから――。



 家にこもって本ばかり読んでいる。小説はたった一冊。他は新書に文庫、実用書の類だ。必要あっての読書でなく、ただ興味にまかせての雑食読書。なんでもござれ……とは聞こえもいいが、そのうち消化不良を起こして寝こむんじゃないか。いまから気を揉んでいる。
 読売新聞を購読し始めてどれぐらいになるだろう。訊けば、生まれるずっと前から、と親は答える。ざっと半世紀以上はお世話になっている計算だ。一面の左端に掲載されるコラムを熱心に読むようになったのがいつ頃か、これも記憶にないが、記事と一緒にコラムを読んで出勤する日が続くうち、書き方に関心がゆくようになったのは物書きの習性かも。
 雑多に各紙を読み散らすこと多いわれなれど、読売新聞の「編集手帳」にいちばん安心と信頼を感じる。そのコラムの書き手、竹内政明氏の新著『「編集手帳」の文章術』が出た(文春新書)。ジャンルが違えども文章の書き手は虚心坦懐に読んでみるといい。頷くところ多々あり、文章を書く意識に変化も生じよう。わたくしはこの一冊を机上に、辞書などと一緒に並べることに決めた。
 ほぼ定期的に中公新書ラクレから刊行される「編集手帳」と併せて読んでみるのもオススメである。◆

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