第1257日目 〈エゼキエル書第44章2/2:〈祭司の務め〉with日曜日は料理当番、こんなメニューでした。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第44章2/2です。

 エゼ44:4-31〈祭司の務め〉
 そのあと、わたくしは青銅の人と一緒に北の門を通って、神殿の前に移動した。神殿のなかが主の栄光で満たされているのを見て、わたくしはひれ伏した。主がいった。これからわたしが語る神殿についてのあらゆること、すべての掟とすべての律法へ心を留めて、自分の目で見、自分の耳で聞きなさい。
 神殿に入ることが許されるのはイスラエルの家だけである。
 聖所から排除されるべきは体にも心にも割礼を受けていない外国人である。
 反逆する者、イスラエルの家が犯した罪は既に数多ある。自分たちの務めを蔑ろにして、それを外国人に委ねた。心にも体にも割礼を受けていない外国人は聖所に入ること能わず、そうして聖所の務めを果たすことについても然り。
 イスラエルが立ち迷ったとき、レビ族は偶像に迷い、従った。その罪は如何程か。かれらは聖所での奉仕のみならず、神殿の雑務も引き受けねばならない。民からの献げ物を屠って民の前に仕えねばならない。イスラエルの家を迷わせたのはお前たちである。自分の罪を背負え。祭司として仕えることなもなく、神殿の聖なるものへ触れることもできないお前たちは。
 神殿で祭司としてわたしに奉仕し、聖所にて務めを果たせるのは、レビ人のツァドクの子孫だけである。
 内庭の門に入るときは亜麻布の衣を着ること。内庭の門と神殿で仕えるときは羊毛を身に付けてはならない。亜麻布のターバンを頭に巻き、亜麻布の短いズボンを履かなくてはならない。民のいる外庭へ出るときはそれまで着ていた衣服を脱ぎ、神聖な部屋へ置いて、別の衣服を着なくてはならない。仕えたときの衣服で民と触れあい、相手に神聖さを移したりしないようにである。
 祭司は頭髪を剃ってはいけない。長髪もダメ。いつもきちんと、こざっぱりした髪型でなくてはならない。お務め前の飲酒は厳禁。結婚しても良いけれど、イスラエル出身の初婚で処女の女性が相手でなくてはならない。但し、夫が祭司であったならば、未亡人であっても構わない。
 死人の家に入ってはならない。が、縁者の場合は別である。かれが復職する際は身を清めて7日を待ち、聖所の内庭に入る日に贖罪の献げ物をささげなくてはならない。
 かれらは民からささげられた献げ物を食べることができる。が、鳥であれ獣であれ、死に至った理由の如何にかかわらず、既に死んでいたものを口にしてはならない。民は初物の麦粉で作ったものを祭司に与えなくてはならない。その者の家に祝福をもたらすためである。

 「彼らは、わたしの民に聖と俗の区別を示し、また、汚れたものと清いものの区別を教えねばならない。争いのあるとき、彼らが裁く者として臨み、わたしの裁きによって裁かねばならない。彼らは、わたしが定めたすべての祝祭日に、わたしの律法と掟を守らねばならない。また、わたしの安息日を聖別しなくてはならない。」(エゼ43:23-24)
 「彼らは嗣業を持たない。わたしが彼らの嗣業である。あなたたちはイスラエルにおいて彼らに財産を与えてはならない。わたしが彼らの財産である。」(エゼ43:28)

 帰還後、レビ人は神殿に職を得るが、奉仕と雑事がその仕事である。祭司として聖所で神なる主に奉仕するはただツァドクの子孫のみ。ツァドクの子孫が祭司の職に就いたらば、彼らに対する掟と律法はこうである――というのが、本章の胆であります。
 概ね「出エジプト記」や「レビ記」で格闘してきた内容なので、当時よりお読みいただいている読者諸兄には一種の懐かしさを覚える件りかも。レビ21と同22が本章と重複する内容を持った章であります。
 ノートを終わらせたあと、該当箇所を探すことも兼ねて前二書(「出」はシナイ山到着以後)に加えて、「民数記」、「申命記」、「サムエル記・下」と「列王記・上」を読み返してみました。或る程度まで聖書読書が進んでいる、という理由もありますが、こうした過去に読んできた書物を改めて繙くと、かつてはわからなかった箇所、理解できなかった箇所が漠とながらわかるようになっていたり、読んでも見えていなかったことを発見できたり、という経験ができます。聖書が何度も読み返すに足る古典であることの証しといえる、と思います。
 ちなみに、レビ26:3-45は読書が預言書に至ったいまだからこそ再読するに相応しい章です。というのも、レビ26が、やがて到来する時代の予見となっているから。その到来する時代とは、イスラエル・ユダの崩壊/バビロン捕囚/エルサレム帰還であります。



 鉄板料理、というべきものが誰にしもあるだろう。腕に自信というよりも、まず間違いない料理、なにを作ろうかと迷ったとき頭に浮かぶこなれた料理が、所謂鉄板料理の定義。
 さんさんかにもありますよ。果たして料理というて良いのか迷う程のありふれたものですが。つまり、ショウガ焼きとパスタと母親譲りのオムレツなんだけれど。これに焼き魚と煮魚を加えれば、うーん、たぶん、なにも考えないで作れる料理は出揃ってしまう。サラダは料理に含めません(小学校の遠足みたいな言い方だな)。
 日曜日はさんさんかが料理当番。だいたいお分かりだろうけれど、今日(昨日ですか)はショウガ焼きを作った。なんの変哲もない、でもショウガはちゃんとすり下ろした、いつもながらのショウガ焼き。これをキャベツざくざく刻んで載せた皿の上に盛ってね。
 で、今回はそこに新メニューを加えた。某酒場にて食して感動した、季節限定メニューの内にあった一品。即ちサヤエンドウとジャガイモのガーリック・ソテーである。たまたま野菜室にサヤエンドウがごろごろしていたので、よし、じゃぁ、あれ作ってみるか、と一念発起した次第で。
 ニンニク切ってオリーブオイルで炒めて、香ばしい匂いがしてきたら茹でておいたサヤエンドウ(皮は剥いてね!)を入れ、終いに一口大にしたジャガイモを投入。ちゃっちゃかちゃっちゃか調理して、お皿に盛ったらバジルかなんかをしゃらしゃら振りかけ、テーブルへ。お店程ではないけれど、うむ、それなりに満足。
 よかったら作ってみてください。◆

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