第1261日目 〈エゼキエル書第47章1/2:〈命の水〉with「エゼキエル書」ノート完了にあたって。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第47章1/2です。

 エゼ47:1-12〈命の水〉
 神殿に戻ったわたくしは、敷居の下から水があふれているのを目にした。それは神殿の南壁沿いに東の門から外へと、一つの流れを作っている。わたくしたちはそれに沿って東へ歩いた。わたくしは青銅の人にいわれて、1,000アンマごとに流れのなかへ体を浸してみた。水量が多くなるにつれて水深は深くなった。初めは踝までだったのが、終いには泳がなくてはならないぐらい程に。
 ようよう川岸へ連れ戻されたわたくしの目に、たくさんの樹木が川の両岸に生えている光景が映った。青銅の人曰く、この水は東の地域へと流れていって汚れた海へ注ぐ、すると水は綺麗になり海よりも多くの魚が住み、かつ、そこに集うあらゆる生き物を潤す、と。また曰く、漁師たちは投網して魚を捕ったり干したり、エン・ゲディからエン・エグライムへ至る塩の海西岸に於ける民の暮らしは豊かになる、と。が、沢と沼は綺麗にならず、塩が採れるばかりである、とも。
 「川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」(エゼ47:12)

 エン・エグライムは死海(塩の海)の北西沿岸にあった、とされ、現在のアイン・フェシュカがそれである由。
 エン・ゲディはそこから岸沿いに南へ約30キロ弱の位置にあり、荒れ野の続く付近一帯のオアシスであった、といわれています。ヨシュ15:62〈ユダ族の町〉にユダ族に与えられた土地の、荒れ野にある町の一つとして、また、サム上24:1〈エン・ゲディにおけるダビデとサウル〉ではサウルに追われるダビデが潜伏した町として、洞窟の外でサウルとダビデが邂逅した町として登場しておりました。それぞれ、第0199日目と第0294日目を併せてお読みいただけたら、嬉しいです。えへ。
 大いなる喜びにあふれた挿話ではありませんか。本章が、ティンデル『エゼキエル書』の著者J.B.テーラーが当該箇所で述べる「聖所における神の臨在から、土地の他の地域へと流れ出るであろう祝福を表現する象徴の、はっきりした実例」であり、「神の豊かな祝福の理想を表している」(P294)という言に、わたくしは一も二もなく賛成する者であります。他人の思考におんぶするようで恥ずかしく思いますが、ご勘弁ください。



 「エゼキエル書」の読書ノートは本挿話を以て完了しました。順番としては、嗣業地の分配が残っているけれど、こちらのノートは〈命の水〉以前に済ませてあるので、わたくしにとっての「エゼキエル書」読書は事実上、本挿話にて終わっておるわけであります。
 ようやく終わらせられた、という安堵があります。いやぁ、ここに至るまで、本当にとっても長かった!◆

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