第1262日目 〈エゼキエル書第47,48章:〈嗣業の割り当て〉with「ダニエル書」、近日公開予定。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第47-48章です。

 エゼ47:13-23〈嗣業の割り当て〉1/2
 イスラエルの12部族に割り当てる嗣業の地と、イスラエルの国境について述べる。あなたたちはその日、その時に至ったら、わたしの指示を順守して配分せよ。
 まず、国境である。
 西境は大海の海岸線にあり、北端は旧フェニキアの某地、南端は「エジプトの川」の河口に置かれる。
 北境は旧フェニキアの某地を起点に東へ、レボ・ハマト、ツェダド、ハツァル、ティコンを結ぶ線で区切られる。
 東境はハウランとダマスコの間からキネレト湖、ヨルダン川、塩の海(東の海)に置かれる。
 南境はタマル、メリバを経て「エジプトの川」を結ぶ線で区切られる。
 ──あなたたちは二倍になった国土を各部族へ割り当てねばならない。
 また、あなたたちのなかに在って寄留し、配偶者など縁者になった外国人にも、嗣業としてイスラエルの土地を分け与えよ。寄留する部族の土地に、かれらの場所を嗣業として与えよ。

 エゼ48:1-35〈嗣業の割り当て〉2/2
 12部族へ与える土地は、北から南へ順番に、以下の通りである。即ち、──
 ・ダン族
 ・アシェル族
 ・ナフタリ族
 ・マナセ族
 ・エフライム族
 ・ルベン族
 ・ユダ族
 (献納地/聖域/エルサレム;エゼ45:1-9)
 ・ベニヤミン族
 ・シメオン族
 ・イサカル族
 ・ゼブルン族
 ・ガド族
 献納地について。「この最良の土地を譲り渡してはならない。それは主に属する聖なるものだからである。」(エゼ48:14)
 都の出口は四方向に三ヶ所ずつあり、いずれも長さは4,500アンマ。一つ一つの門は12部族の名に従って呼ばれる。北にはルベン、ユダ、レビの門が、東にはヨセフ、ベニヤミン、ダンの門が、南にはシメオン、イサカル、ゼブルンの門が、西にはガド、アシェル、ナフタリの門が、それぞれある。都は周囲18,000アンマ、都はその日から<主がそこにおられる>と呼ばれる。

 献納地を南北から挟む形で、ユダ族とベニヤミン族に土地が与えられます。かつての南王国ユダを構成する部族が斯様に聖域を擁す土地を守るようにして配されるのは、果たして主の意思が働いた結果か、それとも単なる偶然の所産か。面白い、と思うた。徳川時代の大名の配置にも似た周到さを、わたくしはここに感じます。外様大名のそばに譜代大名を置いて睨みを利かせ、要所とその守りに息のかかった者を置く。統治者の采配としては極めて理に適っております。洋の東西を問わず常套手段といえましょうか。
 「エゼキエル書」終盤に至って新しい神殿を幻に見せて測量へ同行させたり、「レビ記」で述べられた律法が再規定され、また、最後には「ヨシュア記」で見た土地の配分が(今度は外国人にもやや寛容になって)指示されました。これは、70年後エルサレムへ帰還するのがバビロンへ連行されて生き延びた捕囚たち、或いはその次の世代の人々だからであり、唯一人エゼキエルのみがかれらへ主の言葉(指示/律法)を伝えることが可能な立場にあるからです。
 かれが伝える神なる主の言葉は、やがて確実に実現する帰還へ向けての地均しだった。そうしてそれは、希望であり、約束である。──仄かにあたたかな光射す未来をそこへ見るのは、いったい間違っているでありましょうか?

 前々回の「エレミヤ書」とは意味合いが異なりますが、安堵と疲労の溜め息が洩れるのを禁じ得ません。
 長かった「エゼキエル書」は本日、本章を以て終わりです。ご愛読ありがとうございました。



 夕飯にオムレツを作ったのだけれど、タマネギ切りすぎちゃってね。どうしようか、と考えて、ブイヨン・ベースのスープを作りました。うん? そう、それだけの話です。
 「ダニエル書」はさほど日を開けずに開始する予定です。まだ途中までしか読めていませんが、この黙示文学、なかなか面白いですよ。そうか、預言書の流れのなかにあるから間違えやすいけれど、ダニエルって(イザヤ、エレミヤ、エゼキエルのような)預言者じゃなくて<幻視者>というた方が正しいのか。◆

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