第1275日目 〈ダニエル書第5章:〈壁に字を書く指の幻〉with観たい映画は沢山あるけれど、……。〉 [ダニエル書]

 ダニエル書第5章です。

 ダニ5:1-30〈壁に字を書く指の幻〉
 ネブカドネツァルの子ベルシャツァルが王位に就いた(※1)。かれは1,000人の貴族を招いて饗宴を催し、酒色に耽った。或るとき、王は家来に命じて、エルサレム神殿から略奪してきた祭具を運び出させた。かれらは祭具を杯代わりに酒を飲んだ。そうして自分たちの神、金や銀、青銅や鉄、木や石で造った神を讃えた。
 すると、空中に指が現れて、灯火で仄かに照らされる白い壁に、文字を書いた。メネ、メネ、テケル、バルシン。ベルシャツァルはそれを見て恐怖した。言い知れぬ不安を覚えた。国中の賢者たちが呼び集められたが、誰もそれを読むことはできなかった。
 そこへ王妃がやって来て、夫にいった。ネブカドネツァル王がユダから連れてきた捕囚に、ダニエル、この国での名をベルテシャツァルという者がおります。かれはバビロニアのすべての占い師や賢者たちの長を務めておりました。ベルテシャツァルは聖なる神の霊を宿した者です。どうかこの者を呼び、あの文字の解読をさせてみては如何でしょうか。
 やがてダニエルが呼ばれて来た。王はダニエルに、あの壁の文字を読み解いてほしい、といった。あれを読み、意味を説明してくれたら、紫の衣と褒美を与えよう、また、国を治める者の第三番目の席次も授けよう。が、ダニエルはそれを固持した。しかし求められるに応じて壁の文字については説明した。曰く、――
 ベルシャツァル王よ、あれは<メネ、メネ、テケル、バルシン>と書いてあります。メネは「数える」、即ち、王の治世は終わった、ということです。テケルは「量る」、即ち、神はおあなたが国主として役不足と判断した、ということです。バルシンは「分ける」、即ち、バビロニアはメディアとペルシアによって二つに分断される、ということです。
――と、ダニエル/ベルテシャツァルは説明した(※2)。
 王は紫の衣と褒美を与え、かれを国を治める者の第三の席次に就ける旨、布告した。
 斯様なことがあった晩、カルデア人の王ベルシャツァルは暗殺された。

 ※1「ネブカドネツァルの子ベルシャツァルが王位に就いた」;ベルシャツァルは新バビロニア帝国最後の王ナポニドスの皇太子である。なぜかような錯誤、或いは擬えがされたのか。有名な〈ベルシャツァルの饗宴〉、または<ベルシャザールの饗宴> を挿話の舞台とすれば、エルサレム神殿から奪ってきた祭具を杯代わりにした、という、一種の冒瀆行為を自然な形で描写できるからだろうか。改竄と創作は紙一重である。
 どんな説が巷間あふれているのか、不勉強だから知らぬけれども、少なくともわたくしはそんな風に考えて、解釈している。
 ※2「ダニエル/ベルテシャツァルは説明した」;かつてネブカドネツァルは傲慢ゆえに人心を失って野を彷徨い、悔悛して国も威光も取り戻した。あなた(ベルシャツァル)はそれを知っていながら、主の前にへりくだらなかった。偶像を讃えて、あなた自身の命と行動のすべてを手中にしている神を崇めようとはしなかった。だから、神はあの指を遣わして壁に文字を書かせたのだ(ダニ5:22-24)。
 ――文字解読の前には以上のような諫めの言葉がある。本文へ組みこまなかったことに、特別な理由はない。

 芸術は旧約聖書のさまざまな場面、挿話を、題材に仰いできました。天地創造やノアの方舟がそうですし、ソドムとゴモラ、出エジプト/十戒、サムソンとデリラ、サウルとダビデ、シェバ(シバ)の女王、エルサレムの陥落、バビロンの空中庭園、その他です。「エレミヤ記・前夜」ではシステーィナ礼拝堂にミケランジェロ描くエレミヤ像がある旨、触れました。この「ダニエル記」も多くの芸術作品で題材とされてきました。
 本章での〈ベルシャツァル(ベルシャザール)の饗宴>はその一つです。この1,000人規模の宴会は実際に催されていたらしいのですが、これはたくさんの芸術家にインスピレーションを与えたようです。
 代表的なものとしてたとえば、美術ではジョン・マーティンやレンブラントの絵画が、文学ではハインリヒ・ハイネやジョン・バイロンの詩が、音楽ではシューマンの歌曲やウォルトンのオラトリオがあります。
 ウォルトン作曲のオラトリオ《ベルシャザールの饗宴》では、アンドルー・デイヴィス=BBS交響楽団他がプロムスのラストナイトで披露した演奏(テルデック)が、わたくしはいちばん好きで、iPodにも入れております。また、この作品はカラヤンが、20世紀最高の合唱曲、と評価したことでも有名です。シューマンではDFDが中心となった全集(DG)にしかあるのを知りませんが、最近では他の歌手も歌っているのでしょうか。



 最近映画観てないなぁ……、と思う。貧乏暇なし、とは、よくいったものだ。映画館に出掛けていない、というだけでなく、DVDを借りることすら殆どない。末期症状かな? 先日書いた『吉祥寺の朝比奈くん』がどれだけ例外中の例外であったか、推して知るべし。
 観たい映画はあるけれど観に行く時間がない。観る時間はあるけれど観たい映画がない。お金と同じですね、まさに負のデフレ・スパイラル。成る程。ということは、需要と供給が一致したら好景気到来、それがいつ終わるともなく続くとバブル景気というわけか。そんな風に観たい映画が毎月供給されれば、いうことなしなのですがね……。勿論、古典や名作のリヴァイバル上映(「(新・)午前10時の映画祭」とかね)は別ですぞ?
 まったくさ。TSUTAYAもDVD4枚とか5枚で1,000円、とかいうの完全にやめて、以前通り一枚100円に固定してくれないかな。新作だけ従来通りの料金取ればいいじゃん。他の店舗がどうかは知らぬが、さんさんか利用のTSUTAYAはそうだ、というお話し。
 過去のブログ原稿を読み直していた。すると、書こうとして書かなかった映画の感想文がそこそこあるのに気附いて、冷や汗が出た。『少年メリケンサック』も『罪とか罰とか』も『のだめカンタービレ 最終楽章・後編』も書かなかった。『グスコーブドリの伝記』や『コクリコ坂から』や『タイタンの逆襲』や、観に行ったのに、結局筆を執ることもなくそのままにしてしまったものもある。ブログ休載中の鑑賞だったから、とは言い訳だが、そうか、そんな事情もそういえばあったっけ。そうか、そうか。思い出したわ。うむ。
 今月は『図書館戦争』と『県庁おもてなし課』、『くちづけ』、『ビル・カミンガム&ニューヨーク』を絶対に観に行く。さて、感想文(っぽいもの)は書けるかな? ←微妙に投げ遣り。◆

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