第1282日目 〈ダニエル書第10章&第11章1/2:〈終わりの時の幻〉1/3withグリモー独奏ベートーヴェン《合唱幻想曲》を聴きました。〉 [ダニエル書]

 ダニエル書第10章と第11章1/2です。

 ダニ10:1-11:1〈終わりの時の幻〉1/3
 ペルシアのキュロス王の御代の3年目のこと。わたくしダニエルは3週間にわたって断食して、祈りをささげていた。
 1月24日、チグリス川の畔にいると、麻の衣を着た天使の幻が現れて、わたくしはそれを見た。見ることのできない、一緒にいて祈りをささげていた人々は、それでも強い恐怖を感じて皆一様に逃げ出してしまった。
 残ってそれを見ていたが、力が抜けて気力も失せてふらつき、倒れてしまった。そんなわたくしを天使が引き起こした。かれがいった、愛されている者ダニエルよ、わたしの言葉をよく聞いて理解しなさい、そうして、立ちあがりなさい、と。
 天使が続けた。あなたの祈りは、その始めの日から届いている。21日間にわたって、わたしはペルシアの天使長の抵抗を受けていた。そこにわたくしと同じ第天使長の一人ミカエルが来てくれた。為、わたしはここに来て、将来起こることをあなたへ知らせに来たのだ。この幻はそのときに関するものである。
 わたくしダニエルは嗟嘆した。すると天使がわたくしの唇に、わたくしの体に触れて、力附けてくれた。
 天使がいった。わたしはペルシアの天使長と闘うために帰るが、そのあとすぐにギリシアの天使長が現れるだろう。大天使長ミカエルを除いてわたしを助けられる者はないのだ。真理の書にそれは記されている。

 「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」(ダニ10:19)

 キュロス王による捕囚の解放宣言、第一次帰還団がエルサレムへ発った翌々年の幻視。
 天使が旧約聖書の登場人物と、斯様な形で関わってくるのはダニエルが最初ではなかったか。接触を持つガブリエルは聖なる事態の告知や幻を解くために現れる存在である由。本章冒頭でダニエルが見る天使の幻もガブリエルといいます。



 長くテルデックで活躍したエレーヌ・グリモ-が移籍先、ドイツ・グラモフォンからリリースした最初のCD、題して『クレド』(rec2003)を、久しぶりに聴いた。<信条>という意味で現代エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの作品名だが、これは他で語っているので省き、ベートーヴェンの《合唱幻想曲》に本稿は注目したい。
 これは《第九》の先行作品としてよく触れられるけれど、録音には恵まれていない。数こそあるが、聴くに堪えるものはほとんどないのだ。好きな曲だけにいろいろ聴いた。ほぼすべてを処分した。
 そんな状況で聴いたグリモーの《合唱幻想曲》。初めて聴いて感動に打ち震え涙したコーツ独奏のコンヴィチュニー盤、この曲の演奏では間違いなく最高峰、空前絶後なキーシン独奏のアバド盤を帳消しにして余りあるとは到底なり得なかった点、残念であるが、それらへ肉薄する凄まじさを内包する唯一の盤と思うた。
 共演のオーケストラ、合唱団(スウェーデン放送合唱団)に北欧のトップレベルの団体が名を連ね、指揮がやはり北欧出身の若き巨匠サロネンとなれば、成功はほぼ約束されたようなもの。とはいえ、かれらの、北国ならではのリリカルさと、グリモーのきらめくピアニズムがかくも見事に調和し、妙なるハーモニーを奏でようとは信じられなんだっ! 銅メダル授与、の一枚である。
 これを聴くにつけ、グリモーとサロネン、スウェーデン放送響によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を望むのは、おそらくわたくしばかりではないだろう。
 個人的には今後10年、否、生きている間、《合唱幻想曲》の新しい録音はいらない。◆

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