第1310日目 〈ホセア書第8章&第9章1/2〈イスラエルへの警告〉withその数字は666である。〉 [ホセア書]

 ホセア書第8章と第9章1/2です。

 ホセ8:1-9:6〈イスラエルへの警告〉
 ――イスラエルがわたしの契約を破り、律法に背く。かれらは造物主を忘れた。
 敵に襲われたとき、かれらがわが名を呼び、助けを求める。だが、わたしは手を差し伸べない。わたしの恵みを退けたからだ。敵に追われればよい。
 かれらが金銀を用いて作った金の仔牛像が理由で、わたしの怒りはかれらへ向かって燃え盛る。それは必ず打ち砕かれるだろう。
 わたしはかれらの不義に心を留め、その罪を裁く。かれらはかつてエジプトの地で祖先がそうだったように、再び奴隷の身分に堕ちて使役されなくてはならない。
 イスラエルは諸国民のように喜んだり、祝ったり、躍ったりするな。お前たちは自分の神から離れ、姦淫の報酬を要求した。主なる神が導いたこの土地を出てゆき、アッシリアやエジプトの世話になれ。礼拝も祝祭もままならぬ異邦の地で過ごせ。
 「見よ、彼らが滅びを逃れても/エジプトが彼らを集め、メンフィスが葬る。」(ホセ9:6)
 ――イスラエルはわたしとの契約を捨て、律法を蔑ろにした。かれらはわたしを忘れた。

 ホセ8:4に、イスラエルは王を立てたが、それはわたし(主)から出たものではない、という一節があります。これについてわたくしは、「北王国の王たちは南のユダと異なり、わたしが選んだダビデの血筋、即ちダビデ王朝の者たちではない」という意味に受け取る一方で、「イスラエルに王が立つのはわたしの意思ではない」という意味にも受け取ります。キリスト者や聖書学者、教会の人々がどう解釈するかわかりませんが、あくまで、さんさんかはそう思う、という程度で捉えていただければ幸いです。
 また、ホセ8:13「彼らはエジプトに帰らねばならない」は出エジプト以前にイスラエルが如何なる状態に置かれていたかを今一度思い返すために、「かれらはかつてエジプトの地で祖先がそうだったように、再び奴隷の身分に堕ちて使役されなくてはならない」という本文に仕上げました。
 同じ章節にある「わたしへの贈り物としていけにえをささげるが/その肉を食べるのは彼らだ」は、ホセ4:8「彼らはわが民の贖罪の献げ物をむさぼり/民が罪を犯すのを当てにしている」を踏まえた表現でありましょう。ここでいう「彼ら」はいずれも祭司たちのことであります。



 「知恵が必要である。賢い人は数字の意味を考えよ。それは人間である。その数字は666。」(黙示13:18)
 ――欺きがいつまでも続くと思わないでほしい。旧約聖書の神はそういいますが、これはわれらの周囲に於いても然りであります。自分のことか、と胸に思い当たる節のある人がいるはず。ねえ、あなた方は正しいと信じて踏み外した道からここへ戻ることができますか?
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブ11:1)◆

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