第1313日目 〈ホセア書第11章:〈神の愛〉with「ソドム」と書いて、有川浩『塩の町』を思い出す。〉 [ホセア書]

 ホセア書第11章です。

 ホセ11:1-11〈神の愛〉
 幼な子イスラエルをわたしは愛し、エジプトからこの地へ導いた。わたしはかれらを愛している。なのにかれらはわたしから去った。去って、バアル神を崇め、香を焚き、献げ物をささげている。わたしがかれらを癒していることを、かれらは知らない。陰から寄せるわたしの愛をかれらは知らない。
 斯様にして立ち帰ることを拒むかれらを、アッシリアの王が征服して捕囚にする。そのときになってイスラエルが叫んでも、わたしは応えない。助け起こされることも、勿論、ない。
 ――嗚呼、わが子イスラエルよ、お前を見捨て、引き渡すことなどできようか。往古、アブラハムやロトの時代にソドムやゴモラ、アドマやツェボイムを、わたしは滅ぼした。イスラエルよ、お前たちをどうして、同じように見捨てることができるだろう。わたしはアブラハムに怒りを以て臨んだり、ましてや滅ぼすなどしたくない。わたしは神であって人間ではなく、お前たちの心の内にある聖なる者である――
 「獅子のようにほえる主に彼らは従う。/主がその声をあげるとき/その子らは海のかなたから恐れつつやって来る。/彼らは恐れつつ飛んでくる。/小鳥のようにエジプトから/鳩のようにアッシリアから/わたしは彼らをおのおのの家に住まわせると/主は言われる。」(ホセ11:10-11)

 引用箇所をなんとか自分の文章に<翻訳>、<再創造>してみようと試みましたが、断念しました。抽象的な文言を他の文章に置き換えることの難しさを、改めて痛感しました。最後まで諦めたくなかったのですが……力が抜けてゆきます。
 アドマとツェボイム。この2つの町は、創10:19、同14:2&8,申29:22にてソドムとゴモラと併記されて旧約聖書に登場します。4つの町は同じ低地帯(ex;創19:28)に位置し、それぞれさして離れていない場所にあった、と思われます。
 そういえば、有川浩のデヴュー作『塩の町』を読んでいて、ソドムを見舞った災厄を重ねて思ったこともありましたっけ。



 有川浩と『塩の町』つながりで、
 ――今月末に新潮文庫から『キケン』が出る。が、こちらはネグレクト。図書館に予約していた単行本の順番が廻ってきたらからです。文庫化を知るのが遅くてちょっと後悔。
 さて、『塩の町』。これは初刊時の電撃文庫と、その後の単行本、現在容易に入手可能な角川文庫と3種の刊本がある。
 いま読むなら手が加えられてより手練れた感を堪能できる角川文庫版だろうが、電撃文庫版とのいちばんの相違はクライマックス、東京湾上の結晶へ突入してゆく割に心拍数の上昇する場面だが、前者ではばっさりカット。角川文庫版を読んだときは「え?」と面喰らってしまったのをよく覚えています。
 この点を如何に評価するかは読み手次第。最初に読んだ関係もあるが、わたくしは電撃文庫版を推します。作者同様に『エリア88』や『トップガン』の洗礼を受けたものですから、やはりF14を仰ぎ見るあの見開きの挿絵は、10代の時分、網膜に焼きついた“ドラ猫”の勇姿を思い出させて興奮させられるのであります。その内に『塩の町』の感想でも認めてみましょう。
 角川文庫版には後日談にあたる「塩の町、その後」が併載。だから、両方の版を読んでしまうのがいちばんである。◆

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