第1314日目 〈ホセア書第12章:〈ヤコブの愛〉withまったくもう、犯罪者って奴ぁ……、〉 [ホセア書]

 ホセア書第12章です。

 ホセ12:1-15〈ヤコブの愛〉
 偽りと欺きにまみれたイスラエル/エフライム。かれらは風に彷徨い、欺瞞と暴虐を繰り返し、アッシリアとエジプト双方へ媚びへつらう。かれらは主により罰せられ、その悪行にかなった報いを受ける。
 思い返すとイスラエル即ちヤコブは母リベカの胎より出るとき、双子の兄エサウの踵を摑んで生まれてきた(創25:26)。かれはヤボクの河岸で神の使いと争って勝ち、イスラエルの名を与えられ(同32:23-31)、ベテルで神と語らった(同35:9-15)。
 その末裔たるエフライムは今日、ヤコブ同様に欺き、偽りの言葉を並べ立てる。わたしはいう、愛と正義を保ちあなたの神を待ち望め、と。わたしは再びあなたたちを天幕に住まわせ、預言者に言葉を伝えて本道を説く。
 ギレアドには忌むべき風習が残る。犠牲をささげる祭壇は畑の畝に積まれた唾棄すべき石塚――。
 わたしの許へ立ち帰れ。愛と正義を保って、あなたの主人を待ち望め。あなたを本当に愛し、慈しみ、守るのは、他ならぬわたしであることを、いまこそあなたは知れ。

 「エフライムは主を激しく怒らせた。/主は流血の報いを彼に下し/その恥辱を彼に返される。」(ホセ12:15)

 以前にも書きましたが、ここでも主のイスラエルに対する限りない愛が語られ、その裏返しのようなイスラエルへの怒りが語られる。まさしくルサンチマンと呼ぶに相応しいように思えてきます。まこと、本書のテーマは<愛>と<憎しみ>であります……。
 創世記にまつわる既述が出てきました。そこで原稿を書くにあたって始まりの書物に帰り、ヤコブの挿話を読み返しました。ああ、そうそう、こんな挿話があった、場面があった、台詞や描写があった、この頃自分はなにをしていたんだっけ、と思いながら。
 「創世記」に無駄な部分は一箇所もない。枝葉末節こそ多少はあるが、全50章のすべての節が後の展開に関わってくる。本ブログでは「創世記」を飛ばしていますが、それは単にブログ執筆の理由が、「出エジプト記」や「レビ記」のメモ/備忘録を出発点にしているからです。旧約聖書の読書が「マラキ書」の最後の一節で終わって少し間を置いたあと、「創世記」と「出エジプト記」未掲分へ立ち帰るのは既に予告済みであります。そのときに改めて「創世記」をゆっくりと読みましょう。
 ……そろそろ次の預言書「ヨエル書」前夜のノートを書かなくては。まったく手附かずなのです。やれやれ。



 いましがた、i-Phoneを充電していたら突然音楽が流れ始めた。どうした、i-Phoneにゃぁ音楽、一曲も入れていいぞ?
 おまけに変なアプリが、勝手にインストールされておる。勿論、即効で削除。誰だ、こんなふざけたマネをしたのは。
 まったくもう、犯罪者は自分の行為を犯罪だと承知の上で悪事を働いているのかな?◆

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