第1320日目 〈ヨエル書第2章:〈主の怒りの日〉&〈主の慈しみ〉withガンダム・フロント~ノスタルジー?〉 [ヨエル書]

 ヨエル書第2章です。

 ヨエ2:1-11〈主の怒りの日〉
 日の出の陽光が鋭く夜闇を裂き大地を染めるに似た勢いで、獰悪なる一つの民、力強く数でも優る民が襲来する。一つの民の行く手を炎が切り開く。かれらがあとにした土地では炎が広がっている。かれらによって国土はあまねく荒れ果てる。まるで作物を食い尽くし、農夫たちを泣かせたいなごのようだ。
 蹂躙されるこの国からは、エデンの園を思わせる光景がなくなってしまう。かれらはシオンの都の家という家に侵入して、殺戮と強姦と略奪を繰り返す。そうして城壁を壊し、神の宮を汚す。諸国民はその様子にただ震え、おののくばかりだ。これまでも、これからも、これ程のことは起こり得ない。
 主の日が迫る、極めて恐ろしい、大いなる日が――。それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日。そは怒りの日。Dies irae.

 ヨエ2:12-27〈主の慈しみ〉
 主がいう、――立ち帰るはいま。断食して泣き悲しみ、心からわたしに立ち帰れ。あなたは自分の衣ではなく、自身の心を引き裂いて、わたしに依り頼みなさい。
 さあ、角笛を吹け。民よ、シオンへ集え。断食を布告し、聖会を召集しよう。長老も幼な子も、花婿も花嫁も集まり来たれ。主に仕える者は主にいえ、――あなたの嗣業の民を憐れみ、恥に落とさせないでください。わが神、わが神、なぜわれらを諸国民に嘲笑させておくのですか、と。
 すると、主がいう、もう二度とわたしは、あなたたちが恥となるような行いをすることを許さない、と。穀物、ぶどう、オリーブを、飽き足らないぐらいに与えよう。戦争と占領の意図を持って迫る北からの敵を追い払おう。
 ――大地にも野の獣にも恵みが与えられる。シオンの子らよ、喜び躍れ。シオンの子らを救うために主は、秋の雨と春の雨を豊かに降らせてくれる。豊饒の実り、搾りたての油、醸造されたばかりの酒、……。
 主がいう、――いなごによって蒙った幾年もの損害を償おう。あなたたちを再び富める者とした驚くべき業の数々、それを成し遂げたわたしの御名を、あなたたちは忘れることなく絶えることなく、いつまでも誉め讃えるだろう。
 わたしはあなたたちの神であり、主である。イスラエルのうちにわたしはいる。
――と、主がいう。

 この<怒りの日>の描写は凄いな……。震えましたよ。文章をそれに相応しい締まったものにできず、無念が残ります。“Dies irae”はラテン語で「怒りの日」。ここでラテン語を使うのは非難されるだろうけれど、敢えて承知で使うことにした、これでも一応、使うべきか悩んだんだ。
 ――北から来る敵の先陣を東の海に、後陣を西の海に落とす、と主はいった(ヨエ2:20)。これはアッシリアやバビロニアを遥かに優る戦力、規模、戦術、武器を持った敵に思えます。西の海の沿岸を通っている様子から、やはりギリシアやローマかな、と想像する(東の海とは塩の海即ち死海、西の海とは大海即ち地中海をいいます)。
 でも、パレスチナ、イスラエル/ユダを攻めてきた敵はアッシリアもバビロニアも、ギリシアもローマもすべて、エジプトを除けば<北>から侵攻してきたのですよね。ふむ。



 今日(昨日ですか)の昼、ガンダム・フロントにて思うたことを書きました。が、まだ刈り込みと盛り付けの必要があるのを感じた。まだ意に満ちた原稿ではないのです。というわけで、それは「ヨエル書」が終わったあとでお披露目とすることにいたします。
 ダイバーシティへの道すがら、鮎川麻弥のガンダム・アルバムを聴いていたのはノスタルジーか? 「Z・刻をこえて」とか「僕たちの行方」とかね。わたくしのなかでガンダムの主題歌=鮎川麻弥なのだ、と実感。そもこの人はデヴュー前の「エルガイム」イヴェントで知って……、とかいう話は長くなるのでやめておきます。
 ちゃお!◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。