第1321日目 〈ヨエル書第3章:〈神の霊の降臨〉withこんな夢を見た(その5);ハワイで幼馴染みの<女の子>と……。〉 [ヨエル書]

 ヨエル書第3章です。

 ヨエ3:1-5〈神の霊の降臨〉
 終末の後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。老若男女、奴隷の別なくわが霊を注ぐ。
 天と地に、血と火と煙の柱をわが徴として示す。主の日が来る前に――それは大いなる恐れべき日――太陽は闇に、月は血に取って代わる。
 「しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。/主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」(ヨエ3:5)

 引用したなかにある「残りの者」は、「生き残りの者」という意味なのかな。
 ……これは本当にノートが難しい章でした。全文を引用してしまおうか、何度そう考えたことでしょう。はなはだ抽象的で、しかもそれが黙示にまつわる部分だからなおさら雲を摑むような思いをさせられた。おまけになんだか暑いし……。
 しかしながらここが「ヨエル書」のポイントであります。本章こそがヨエルという預言者の言葉を新約聖書の世界/時代に伝え、かれの名と言葉を普遍的なものとするにいちばん大事な役割を果たしたのです。それは「使徒言行録」のみならず、「マルコの福音書」――(13:24「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず」)――や「ローマの信徒への手紙」――(10:13「「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」のです。」)――にも少なからずヨエルの言葉の痕跡が窺える点から、斯く判断しても可笑しくないと思います。
 ただ、最も「ヨエル書」の表現、言葉を引いたのが「使徒言行録」であるのは疑いもありません。使徒2:16-21〈ペトロの説教〉に於いてペトロはこう語ります、曰く、――
 「そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。/『神は言われる。/終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。/すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。/わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。/すると、彼らは預言する。/上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。/血と火と立ちこめる煙が、それだ。/主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。/主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」と。
 本章を「ヨエル書」のポイントといい、次の時代にまでヨエルの言葉を伝えるに重要な役割を果たしたというのは、つまりそういうことであります。



 今日見た夢は、とんでもなく「……?」なものでした。まぁ、夢ってみんなそういうものだと思うけれど。
 ――それは一種の成長譚。小学生の頃に出会った女の子がいる。高校生になった<ぼく>とその子は校内での大事件に巻きこまれて絆を深めた。
 大人になった<ぼく>は撮影クルーとして、あの『LOST』に参加、ハワイにいた。或る晩、その日の撮影が終了後、数百年に一度の天体ショーをカラウ島の高台で見あげている<ぼく>とその子。M.フォックスもJ.ホロウェイもみんな、そこにいる。
 歳月は流れてその夜空の光景を印刷したマグカップに淹れたコーヒーを、テーブルをはさんで坐るぼくらは飲んでいる、という一代記のような夢のなかの物語。
 そんな夢を見て、まだ陽が昇ってそれ程経っていない時間に飛び起きた。そうしてそれを、寝ぼけ眼でメモった。いつの間にやら頬が涙で濡れている。相手の女の子が誰なのか、どんな容姿をしていたのか。それは、言わずが仏。◆

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