第1324日目 〈「アモス書」前夜withどうだい、SF小説書いてみたら、と、友がいう。〉 [アモス書]

 預言者アモスはユダに生まれてイスラエルで活躍した人。その舞台は北王国の宗教的中心地ベテルでありました。ベテルはイスラエル南部に属す町であります。召命以前、アモスは牧者で、本人曰く、「家畜といちじく桑を栽培する者」(アモ7:14)であった。その仕事に従事しているとき、主により召命され、イスラエルへ行き預言せよ、といわれた由。
 預言書に名前を留める15人(ダニエルを除く)の内、アモスはいちばん古い時代に生きた。同じ王国で活動したホセアよりも前の人で、おそらくはエリシャと面識があったのではないか、と想像されます。
 かれが活動したのは南王国ウジヤ(アザルヤ)王、北王国ヤロブアム2世王の御代。両国が共に繁栄し、殊北王国にとってそれは最後の残照、まさに黄昏刻の最も眩い時代でした。そうした時期、アモスはイスラエルのベテルに赴き、主の言葉を伝える役割を担ったのです。
 そのアモスが語ったのは、<正義>についてでした。アモ5:15にある文言を引けば、<悪を憎み、善を愛し、正義を貫け>ということでした。わたくしはここに「アモス書」のキモが、中心となるメッセージが、主題が、あるように思えてなりません。ユダとイスラエルを含めた諸国民への審判(アモ1-2)、驕る人々、不正を働く商人への審判(アモ6、8:4-8)。そうしたところに、主による正義の執行があるように思うのであります。その結果としてもたらされるのがサマリアの陥落であり、北王国の滅亡であるのは、いうまでもありません。そうした後に約束されるダビデの町の繁栄とイスラエル民族の回復――。
 わたくしが預言書を読んでいていつも感銘を受けるのは、どれだけ痛ましい破滅の預言がされても最後には必ず<回復>という永遠に等しい希望が与えられる点であります。救いあってこその凶事といえばそれまでですが、これこそ未来を語る預言書の第一事であり、たとえば「ヨハネの黙示録」に於いてもこの構造はまったく変わっておりません。
 それでは、明日から「アモス書」を1日1章ずつ読んでゆきましょう。



 近頃部屋にいるときはアンドレ・リュウのCDしか聴いていないさんさんかです。
 台風4号と梅雨前線の微妙なコラボレーションにより天気が不安定な今日(昨日ですか。九州の皆さん、雨と風はだいじょうぶですか?)、仕事帰りに時々行く大崎のパブで友どちと会い、ジャンル小説について四方山話をしていました。
 そこで友が発した一言、――そんなに好きなんだからSF書けばいいじゃん、と。これまで読んできたSF小説、観てきたSF映画やドラマへのオマージュでいいじゃん、なにか1作ぐらい、長編で書けるでしょ、そろそろ引っ越し先のファンタジーから自分のいるべき場所へ戻ってこいよ、とも。
 うーむ、と、黒ビールの注がれたグラスを睨んで考えた。最近のさんさんかにしては珍しく真剣に考えた。以前線路の反対側で働いていたとき以上に、極めて真剣に考えた。
 ――でも、SF小説の創作から離れて何マイル、否、幾百光年、という為体の自分に果たして、かつて好きだったジャンルに立ち帰って再び創作の筆を執ることができるだろうか? 素朴にして深遠な問いをわたくしは友に投げかけてみた。わたくしにとってそれは「宇宙の真実」の解答を探す以上に困難な問題に思えたのだ。
 すると、友の答えて曰く、だいじょうぶ、なんとかなる。
 ――ドリス・デイかよ!? そんなツッコミを実際に入れて、再び考えた。いつの間にやら黒ビールは空っぽだ。4杯目のお代わりを頼んで、カウンターに額をくっ付けて(ぶっ付けて?)沈思黙考。けっして酔い潰れたわけではない。
 確かにファンタジーは、2001年9月と2003年7月の悲劇から逃れた先の世界であった。トールキンに再会し、エッセイ「妖精物語について」の一節に触れて嗟嘆すると共に安堵して、中つ国の片隅で心を慰撫しながら、このジャンルへのお礼にも似た小説を、短いものながら書き綴り、友人知己へのギフトにした。友はそれを念頭に置いて、そろそろ帰ってこいよ、といってくれたのである。……
 ……わたくしの本籍地はホラーのジャンルにある。知らず役所で戸籍移動の手続きをしていない限り、<本籍地:ホラー>と記載されているはずだ。でも、従来の浮気性ゆえそこだけで満足できないで、親しむ前より馴染みのあったSFに秋波を送ったりもしている。それは否定できない事実だ。実際に女性であれば一穴一本主義なのだがなぁ。それはともかく、ホラーも好きだが、その何分の一かの情熱を費やしてSFも好きなのである。否定はするまい、えっへん。
 <スター・ウォーズ>サーガと『宇宙戦艦ヤマト』でこの世にSFというジャンルがあるのを子供心に知ったわたくしは、(昨日の話を引きずるわけではないが)「ガンダム」に駄目押しを喰らってロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』を古本屋で探してきて読んだ。――苛酷で永遠の苦行にも思えた高校受験を終えて進学するや、通学の帰りにアーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』や『10の世界の物語』、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』シリーズとロボット3部作、ハインライン『夏の扉』(定番中の定番!)、クリフォード・D・シマック『中継ステーション』、ブルース・スターリング『スキズマトリックス』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、フランク・ハーバート『砂の惑星』シリーズ、オースン・スコット・カード『無伴奏ソナタ』、ロバート・シルヴァーバーグ『ヴァレンタイン卿の城』などを、古本屋で探すか新刊書店にて発売とほぼ同時に買って、キングやバーカー、HPLやポオ、マッケンやらと同時進行で読んでいたのだから、10代後半の読書欲って恐ろしいですね。うん? フィル・ディックとブラッドベリ、ティプトリーを忘れていたか。――取り立てて珍しいライン・アップではないが、これらを夢中になって読んだことは人生の宝物だ。
 さて、なにを話していたんだったかな。そうそう、SF書けや、っていうことか。
 まぁ、死ぬまでになら1作ぐらいは書けそうな気がするな。パブで会計を済ませて夜風に当たりながら友と駅へ、ふらふら、よたよた、と歩きながら、そんな大きな気分になった。なんだかマジで書けそうな気がしてきたぜっ! ありきたりな題材でもいいや。自分が愛着を持ち、失わずに書けるなら、科学的考証もなんのその、だ……。失言を深謝。
 現在は聖書に掛かりっきりなため、棚上げしている長編が2作あるのだが(樹海を舞台にしたものと、ちょっぴりエロいB級SFホラー映画めいたものね)、これを完成させたら、次の長編ではSFに挑みたいですね。――疲弊して倒れてそのまま起きあがらない可能性もあるけれど、やるなら全霊を傾けてやったあとで倒れたい。
 ――どんなの書きたい? 友が訊く。
 あんまりSF、SFしている小説は無理だろうから、そうね……キングの『トミーノッカーズ』とか……いや、ふざけてませんよ。友よ、眉根顰めたな、いま? でもね、正直なところ、理想とするSF小説っていうのがすぐに思い浮かばないんですよ。ダグラス・アダムズ『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズとか真面目な顔していっていいなら別だけれど。――おっと、品川に着いたぜ。乗り換えないとな。友よ、どこへ行く、君もこっちだろう。
 まぁ、どんなSF小説が書きあがるかわからないけれど、とにかくいまいえることはこれだけさ。即ち、――さあ、みんな、アンドレ・リュウの音楽みたくハッピーに行こうぜ!?◆

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