第1335日目 〈「オバデヤ書」前夜with横浜タワーレコードが閉店します。〉 [オバデヤ書]

 えーっ、と、旧約聖書にたびたび登場する国にエドムっていう所がありまして。「創世記」にて父イサクの祝福を弟ヤコブ(イスラエル)に騙し取られて地団駄を踏んだエサウ、その子孫がエドム人であります。もう細かいことは書きませんが、かれらはその後、国を興し、再三再四にわたってイスラエルにちょっかいを出し、敵対し、剣を交え、苦しめた。――先の登場になりますが、幼子イエスを恐れて殺そうとしたヘロデ大王(マタ2:1-18、特に2:16。 ※1)は当時イドマヤ人と呼ばれたエドム人でありました。
 国境は南がアカバ湾に、北がセレド川でモアブに、西で南王国ユダに接している。山岳地帯が国土の多くを占めていることもあり、その首都(とされる)ボツラは難攻不落の要害であった、といいます。イスラエルやティルスなどシリア・パレスティナ地方の諸国と貿易する一方、海上にも交易路を持ち、スエズ湾経由でエジプトと交易があった。それゆえエドムは当時としては相当の金満国家であった様子です。
 今日と明日で読む「オバデヤ書」では専らこのエドムへの審判の言葉が語られます。エドムの傲慢、報復、そうして、滅亡。単一章の、聖書全編中で最も短い書物の一つ(※2)ですが、これまでまとまってページを割かれることの少なかったエドムへの審判がはっきりと告げられている点、見逃すことも軽視することもできぬ一書と考えます。「オバデヤ書」は「エレミヤ書」との相似が指摘されていますが、これについては明日述べることと致します。
 預言者オバデヤの出自や来歴、またかれの活動した時代などは未詳という。旧約聖書には同名の人物が何人かいますが、そのうちの誰一人として預言者に結び付けられる存在ではありません。こうまで空白の履歴を持つ人は、少なくとも主役級の人物としては珍しいのではないでしょうか。
 ――とはいえ、かれの生きた時代については若干の手掛かりが残されている。エドムの対ユダ活動や主の審判の言葉の一節に、推測の材料があるという。
 『新エッセンシャル聖書辞典』(いのちのことば社)の「オバデヤ書」の項目では、ヨラム王の御代にあったペリシテ人とアラビヤ人のユダ攻撃(代下21:16-17)や、バビロニア王ネブカドネツァルによるエルサレム陥落/宝物略奪にエドムが加担・便乗した事柄(詩137:7。ex;哀4:21-22)が、オバデヤの生涯の背景にあるのではないか、とします。他の研究書や注釈書などはどちらかといえば後者の意見に与する解釈が多いように見受けられます。
 が、いずれも決め手に欠くため、結局オバデヤがいつの人なのか、誰の息子であるのかはわからない、というのが正直なところのようであります。
 1章21節の短い書物、「オバデヤ書」。明日はこれを読んでゆきましょう。そのあとは一種の冒険譚である「ヨナ書」を。

 ※1;オバデヤ同様、ヘロデ王も聖書に同名の人物が複数おります。上に挙げた、イエスの誕生を知ってベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男児を一人残らず殺せ、と命じたヘロデ王の他に、有名な同名の人物としては、例のオスカー・ワイルド『サロメ』に登場する領主ヘロデ即ちヘロデ・アンテパスがおります(マタ14:1-12)。
 こちらのヘロデは王の第4夫人が生んだ人で、兄弟フィリポの妻ヘロディアと通じてこれを妻とし、ヘロディアの連れ子サロメの要望を拒みきれず幽閉中であった洗礼者ヨハネ(戯曲とオペラでは「ヨカナーン」)の首を銀の盆に載せて贈った。なお、『サロメ』では最後、ヘロデ王がサロメの首を刎ねるよう命じる場面で終わりますが、むろん、新約聖書の当該章にはそうした場面はありません。また、洗礼者ヨハネは<バプテスマのヨハネ>、「バプテスマ」は「洗礼者」の意味であります。「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの手紙」を著した使徒ヨハネとは別人。
 ……まったく聖書の人名ってややこしくて紛らわしいですね。混乱しちゃいます。
 ※2;旧約聖書で単一章の書物は「オバデヤ書」だけですが、旧約聖書続編に「エレミヤの手紙」、「ダニエル書補遺」(3篇いずれも)、「マナセの祈り」が、新約聖書に「フィレモンへの手紙」、「ヨハネの手紙」二と三、「ユダの手紙」が、同じ単一章の書物であります。



 今月2013年7月21日を以て横浜駅西口の岡田屋More'sが改装のため、一時閉店になる。そのため一時休業するテナントもあれば、これを機会に(?)クローズされる店舗もある。
 会社の帰りに寄ってそれと知ったのだが、クローズ店舗にタワーレコードが入っていた。昨今のソフト販売が如何にパッケージ商品からダウンロードへと比重を移したかを如実に見せられる思いだ。
 理由が別にあるとはいえ、以前みたく頻繁には足が向かなくなったこの数年だけれど、たまに出没して時間をかけて店内を一周すれば音楽産業の動向は或る程度まで把握することができた。「或る程度」までながら「把握できた」というのは、それだけタワーレコードが情報を発信し、実売店舗としての役割をじゅうぶんに果たしている事実を意味する。
 この店で、ふとした拍子に購入した音盤がきっかけで現代音楽と吹奏楽のジャンルへ足を踏み入れ、興味の触手が伸びてたまにジャズやカントリーに手を伸ばし、新譜が出ればJ-POPと洋楽へ戻りもした。レジへ十数枚のCDや書籍を運ぶたび、レジの人はわたくしの分裂症気味な嗜好に内心小首を傾げたかもしれないけれど。
 オープンは確か2001年頃であったか。まだ不動産会社に在籍していた頃だ。もう思い出の詰まった店舗がこの世から消えてしまうことに一抹どころではない淋しさを感じている。この行き場のない嘆きを一体どこにぶちまければいいのだろう? ――More's店での最後の買い物はラザール・ベルマン弾くシューベルトのピアノ・ソナタ第21番とカラヤンのムック、映画『ホビット』と『テッド』のDVDと決めてある。◆