第1340日目 〈ヨナ書第2章:〈ヨナの救助〉with今日は七夕ですね。〉 [ヨナ書]

 ヨナ書第2章です。

 ヨナ2:1-11〈ヨナの救助〉
 荒れ狂う海へ投げこまれたヨナ。渦に呑まれ、潮に巻かれ、何処ともなく流されてゆくかれを、主は巨(おお)きな魚に命じて呑みこませた。
 ヨナは3日3晩、魚の腹のなかにあって、そこから主へ祈りをささげた。
 ――わたくしは遂にあなたの前から追放された、と思った。生きて再びあの聖なる神殿を目にすることができるだろうか、と嘆いた。海中で嬲られるようにして海の面から海の底まで浮き沈みし、あちこちを移動するうち、もはや生きることを諦めた。
 意識が遠のき、息絶えんとするとき、わたくしはあなたの名を口にした。するとどうか、祈りは届いて聖なる神殿に達し、こうして助かった。わたくしはあなたに感謝します。いけにえをささげて誓いを果たしましょう。なんとなれば、救いはあなた、主にこそあるのですから。――
 主は巨きな魚に命じてヨナを陸地へ吐き出させた。

 ヨナはけっして裏切り者でも反逆者でもなかった。臆病者、というが精々の人物。召命されたことのプレッシャーに耐えられず、遁走したに過ぎない。そうわたくしは考えます。
 魚に呑みこまれたあと、そこからささげる祈りは、単純な命乞いではない。悔悛しての祈りでもない。本来かれが持っていた信心が正直にここで吐露されたに過ぎない。ヨナは人並みの信仰心は持っていた。それが表立って(少なくとも本書に於いては)現れることがなかっただけなのだ。
 もっとも、第4章で見られるように――ヨブとはまた違った形で――主に反論を試みる大胆さは持ち合わせている点、預言者として異色の存在であるとはいえそうであります。
 ところで。わたくしが本章を読んだとき、いの一番に連想したのがなんの物語だったかおわかりですか? 子供の頃、まずはディズニーで親しみ、そのあと母に読んでもらった童話で馴染んだ『ピノキオ』だったのです。共通点は単に巨魚の腹のなかに人がいる、というところだけですが……。皆さんは如何ですか?



 この原稿は土曜日の朝07時45分に書いています。晴れています。スズメが鳴いています。バイクがうるさいです。カラスに殺意を覚えます。なにはともあれ、初夏の清々しい朝。そろそろ暑くなってきて不快感を覚える時間になるかな。
 眠ることのできなかった夜を空しく、淋しく、苛立たしく過ごし、起きてはやおらパソコンを立ち上げ、ノートを脇に置いてキーボードをぱこぱこ叩き、ようやくこの分量まで来ました。
 傍らのi-Phoneがたったいまメールを受信。常磐線が07時40分に起きた人身事故の影響により、いわき-高萩駅間で上下線とも運転見合わせの由。
 さて、コーヒー作って新聞でも読むか。もうすぐ参議院選挙ですね。
 今日は七夕……織り姫と彦星のように、われらも逢えたらなぁ。やはり縁なきイヴェントか。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。