第1345日目 〈ミカ書第2章2/2:〈ユダの混乱〉&〈復興の預言〉with10年後の7月11日。みくらさんさんか、詫びる。〉 [ミカ書]

 ミカ書第2章2/2です。

 ミカ2:16-11〈ユダの混乱〉
 お前の預言など戯言(たわごと)でしかない、と、或る預言者の集団がいった。かれらがわたくしを非難するには、――
 ヤコブの家が呪われている、とか、それゆえに滅びる、などとお前はいうが、果たしてそれが主の御業なのか、ハハハ、主がそんなに気短であるわけがないだろう、と。
 わたくしの言葉はどうやら民の益にはならぬらしい。昨日まで同胞であった連衆がいまや敵となった。奴らは抵抗できぬ者から衣服を剥ぎ取り、女たちを家から追い出し、子供から誉れを永久に奪う。
 平和なる人たちよ、立ってここを去るがよい。もはやここは安住の地ではなくなった。「この地は汚れのゆえに滅びる。/その滅びは悲惨である。」(ミカ2:10)
 預言者を自称する輩があたりをほっつき歩き、主の言葉を騙って廻る。行き合った人に、ぶどう酒と濃い酒を飲みながら主の言葉を語って聞かせてやろう、と強いる。これが、預言者を騙る痴れ者である。

 ミカ2:12-13〈復興の預言〉
 ヤコブよ、と主がいった。わたしはイスラエルの残りの者を一つ所へ集める。牧場へ導いて一つにしよう。皆は歓びの声をあげる。
 囚われの場所から出るとき、門を打ち破る者が先に立ち、人々がこれに続いて外に出る。かれらの王が人々のいちばん前におり、わたし主が先頭にあってこれを導く。

 本当に「ミカ書」は難しい。本文の損傷が甚だしい、となにかの本で読みましたが、それが原因の一つなのかもしれない。完全ではない本文しか伝わらなかったために、翻訳も不完全な本文に拠る他なく所々で意味が明瞭でない表現に出会す。12小預言書のうち「ミカ書」が難儀とされるのもそうしたあたりに理由の一端を求められるのかもしれない、と、自分の理解不足は脇に除(の)け、疑を呈してみました。
 ミカ2:6「『たわごとをいうな』と言いながら/彼らは自ら戯言を言い」はそれぞれの聖書によって訳が異なります。<ユダの混乱>を読むにあたって、わたくしはまずここで躓きました。読み流すだけなら引っ掛かるところはありませんが、本ブログに於いてはそういうわけにもいかない。新共同訳を始め新改訳や口語訳、文語訳、関根訳、岩波訳は勿論、本文を含める注解書など読んでみた。二日程悩んだ末にお読みいただいたような文章を物すに至ったわけですが、如何でしょうか。一つの時代に預言者は一人というわけでなく、かつ正しく主の言葉を預かる者ばかりが<預言者>ではなかった、という事実を踏まえれば、斯様な文章が生まれるのも道理かな、とわたくし自身は思うのであります。
 ミカ2:10「立て、行くがよい。/ここは安住の地ではない。/この地は汚れのゆえに滅びる。/その滅びは悲惨である。」後半は引用した部分でもありますが、今日のわたくしたち日本人がよく噛みしめて理解しなくてはならない箇所だと思います。こうならぬよう、われらは貴い犠牲の上に勝ち得た主権を断固として守らねばなりません。



 火事から10年が経ち、±0よりややマイナスが優る歳月が過ぎた。家族を守って逝った父を想う、あれから10年後の7月11日。ごめん、嫁と孫を墓前に連れてゆく望みは叶いそうにない。ごめんなさい。◆

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