第1349日目 〈ミカ書第6章:〈主の告発〉with日々を大過なく過ごせることに感謝しよう。〉 [ミカ書]

 ミカ書第6章です。

 ミカ6:1-16〈主の告発〉
 山々よ、永遠の地の基よ、主の告発を聞け。主が自分の民を告発し、イスラエルと争う。
 主がいう、――わたしがお前に対してなにをしたというのか、なにを以てお前を疲れさせたのか、と。
 わたしはお前をエジプトから導き、奴隷の家から贖った。モーセとアロン、ミリアムを遣わしてエジプトからシナイを経てカナンへ導いた。ヨシュアに率いられたお前はシティムを発ってヨルダン川を渡った。そこでわたしの御業を目の当たりにして、ギルガルに12個の記念の石を置いたのではなかったか。
 お前はわが恵みの御業を弁えよ。
――主がそういった。

 なにを持って主の前に出て、そうして額附くべきであろうか。どのような献げ物を差し出せば、主は喜ぶだろうか。自分の咎を償うために長子を? 自分の罪を償うために胎の実を?
 否! 主がなにを求めているか、なにが善であるか、既に定められ、告げられている。即ち、――
 「正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:8)

 エルサレムよ、わたしはいつまで耐え忍ばぬばならぬのか。わたしに背く者に、不正に貯えられた富に、容量の足りない升に。不正な天秤、偽りの重り石の袋を、どうして認められようか。都の金持ちは法を退け、住民は偽りを語る。かれらは欺く舌を持っている。
 エルサレムよ、わたしはお前を撃ち、罪のゆえに滅ぼす。欲望も生活もけっして満たされることがない。わたしの目に悪と映ることを行って名を馳せた北のオムリとアハブと同じ道を行くか。「そのため、わたしはお前を荒れるにまかせ/都の住民を嘲りの的とした。/お前たちはわが民の恥を負わねばならぬ。」(ミカ6:16)

 今日は自身の備忘録も兼ねて復習をしましょう。よろしくお付き合いください。
 モアブの王バラクとベオルの子バラムの名が出た(ミカ6:5)。モーセに率いられたイスラエルがヨルダン川畔のモアブに宿営する。かれらはその直前にオグ王らアラム人を征服してきた。その強さに恐れを覚えたモアブ王バラクは占い師バラムに命じて、イスラエルを調伏しようとした。が、イスラエルの神が介入したことで、バラムは3度にわたってイスラエルを祝福する託宣を行った。(民22-24)
 バラムは自分を詰るバラク王にいった、「主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、わたしの心のままにすることはできません。わたしは、主が告げられることを告げるだけです」(民24:13)と。
 シティムからギルガルまでのことを思い起こし、主の恵みの御業をわきまえよ(ミカ6:5)。シティムはヨシュア率いるイスラエルがヨルダン渡河の直前に宿営した地。民25:1と同33:48-49、ヨシュ2:1と同3:1にある。ギルガルはヨルダン渡河のあと、イスラエルが最初に宿営した地だった。無事にヨルダン川を渡り、カナンへ入れたことを感謝する記念の12個の石が置かれた(ヨシュ4:20)。シティムもギルガルもイスラエル民族にとって忘れ難い、記憶にも記録にも残る特別な場所であった。
 ヨシュアはギルガルにて民にいった、12個の石が置かれた理由を子供たちに問われたら、「イスラエルはヨルダン川の乾いたところを渡ったのだと教えねばならない。あなたたちの神、主は、あなたたちが渡りきるまで、あなたたちのためにヨルダンの水を涸らしてくださった。(中略)それは、地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、わたしたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである」(ヨシュ4:22-24)と。
 オムリの定めたこと、アハブの家のならわし(ミカ6:16)とはなにか。かれらは北王国の王であり、共に主の目に悪と映ることをことごとく行った。殊にアハブは極悪であった。まず、オムリはクーデターによって前王ジムリの王朝を倒して権力を簒奪し、新たにオムリ王朝を立てた。また、王都をそれまでのティルツァからサマリアへ遷都した。「オムリは主の目に悪とされることを行い、彼以前のだれよりも悪いことを行った。彼は、ネバトの子ヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によってイスラエルの神、主の怒りを招いた。」(王上16:25-26)
 一方でオムリ王の子アハブは父王のあとを承けて王に就いたあと、「ネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。」(王上16:31-33)
 ミカ6:16で記される「定めたこと、ならわし」とは、おそらくかれらが北王国イスラエルにバアル信仰を広め、異教徒の娘を妻としたことが根幹にあるのは間違いないでしょう。主の道から外れて偶像を崇めるよう定めたこと、異教徒/カナン原住民との血の混交を奨励すること、どうやらこの2点がもっとも悪い行いであった、と考えるのが自然であると思います。
 ――本章はイスラエルの歴史と先行する預言者たちの主張が集約された章。歴史については以上述べた通りでありますが、預言者たちの主張については、「正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ6:8)がこれにあたります。正義はアモスの、愛はホセアの、そうしてへりくだって神と共に歩むことはイザヤの思想の中核を成す主張でありました。「ミカ書」はこうした先行する預言書の内容/思想を細切れに含んでいます。
 長くなりました。
 明日で「ミカ書」は終わります。



 騒ぐ程のトラブルもなく、時間はゆっくりおだやかに流れて、定時になって退社。こんな日は久しぶりだ。平和である。安寧である。そうしてわずかの不安が残る。
 毎日の仕事が充実しているわけではないけれど、こうして働かせてもらえて日々を大過なく過ごせることが、人生3番目のしあわせ。
 明日は代休。横浜美術館で開催中の「プーシキン美術館展」に行く。今年になって初めてのような気がする、こうして展覧会に行くのは。◆

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