第1359日目 〈ナホム書第2章:〈ニネベの陥落〉1/2with映画『ミッドナイト・イン・パリ』を観ました。〉 [ナホム書]

 ナホム書第2章です。

 ナホ2:1-14〈ニネベの陥落〉1/2
 敵がお前に襲いかかる。砦の守りを堅くし、道という道を監視しろ。武具を携え、甲冑をまとい、戦に備えよ。
 その日が来た。戦車が街中を狂うたように走る。将軍たちは慌てふためき、都の民は右往左往する。ユーフラテス川に面した城門が敵によってこじ開けられ、ニネベの宮殿は阿鼻叫喚に包まれる。宝物は奪われ、男は殺され、女は犯される。
 ――獅子は住み処を去ってどこへ行ったのか。牧場にいるのが雌獅子と子獅子だけだとしても、これまでそこを脅かすものはなにもなかった。そこは食べ物に満ちた安逸の場所であった。
 わたし主はお前をこの地から断ち、お前の使者たちの声が聞かれることはなくなる。
 斯くしてヤコブの誇り、イスラエルの誇りは回復する。一度は略奪されて荒らされもした、わが民の誇りが、斯くしてここに回復する。
 「見よ、良い知らせを伝え/平和を告げる者の足は山の上を行く。/ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。/二度と、よこしまな者が/お前の土地を侵すことはない。/彼らはすべて滅ぼされた。」(ナホ2:1)

 「ユダよ、お前の祭りを祝い」とはなにか。それはアッシリアの軛からユダが逃れられたことを祝う祭りであろう。
 アッシリアがメデイア・バビロニア・スキタイ人の連合軍によって滅ぼされたことは、かの国の影が重くのし掛かっていた当時のユダには慶事であった――たとえそれが、ユダにとって滅びの始まりであったとしても。そうしてそれが、これまで経験したことのないような悲劇的屈辱的な歴史の始まりであるとしても。
 とはいえ、いまこの瞬間に於いての憂い事は拭い去られた。歓ぼう、祝おう、歌おう、感謝しよう。ニネベは陥落し、アッシリアは滅びた。歌おう、雷に打たれた程の歓びを!
 しかし、ナホムによるニネベ陥落の預言はまだ終わらない。そこではニネベ/アッシリアへの容赦ない裁きの言葉が並べ立てられる。本章はまずユダの歓びを第一に伝える露払い的意味合いを持つ、と考えて宜しかろう。
 いや、それにしても、引用したナホ2:1は美しい文章ですね。強さと優しさが巧みに調和した文章、というてよいのではないでしょうか。



 『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公は「生まれた時代を間違えた」が口癖な脚本家。そんなかれが彷徨いこんだのは、生きるのに理想的な1920年代のパリであった。主人公は<失われた世代>の作家たちと知り合い、自分が本来求めていた恋の相手と出会う。別れの場面は残酷であるが、<時>を旅するかれにとってそれはきっと必然。
 現実に馴染めぬ<なにか>を弄んでいるマイノリティには圧倒的にお奨めの映画です。◆

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