第1365日目 〈ハバクク書第2章:〈主の答え〉withあの日の夢を久しく見ない。そればかりか、――〉 [ハバクク書]

 ハバクク書第2章です。

 ハバ2:1-20〈主の答え〉
 わたくしは歩哨として砦の上にいました。神がわたくしになにを語られるのか。神がわたくしの訴えにどうお答えになるのか。それを知りたいと思ったから。主は仰った、――
 幻を書き記せ。板に大きく、はっきりとした字で幻を書き記せ。終わりの時にまつわるもう一つの幻があるからだ。法螺話ではない。待っているがよい。遅くなったとしてもこの幻は実現する。その幻が実現するときは必ず来る。高慢な者の心は正しくない。が、神に従う人は信仰によって生きるのだ。――
 富は人を欺く。なるほど、その通りです。富める者はやがて自分を見失い、傲慢になり、他人の物を自分の物にし始める。おお、なんという災いだろう、「自分のものでないものを/増し加える者は。いつまで続けるのか/重い負債を自分の上に積む者は。」(ハバ2:16)
 富める者よ、お前はじきにしっぺ返しを喰らうことになるでしょう。以前に虐げ、不法を行った者らが反撃してくるからです。お前は自分の家に災いを招くまで不当な利益を貪りました。お前は災いから逃れるために高い場所へ家を造りました。お前は自分の家に対して恥ずべきことを謀り、多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけたのです。
 「お前のもとに、主の右の手の杯と恥辱が/お前の栄光の代わりに回ってくる。」(ハバ2:16)
 人の手で作られた彫像や鋳像がなんの役に立つでしょう。言葉を発しない偶像にどうして依り頼むのでしょう。偽りばかり教える者がいったい託宣を下し得るのでしょうか。しかし、とわたくしはいいます、「しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。」(ハバ2:20)

 アッシリアの勢力範囲の拡大と被占領国にくすぶる反アッシリアの息吹き、そうして反乱と崩壊が、ハバククの見る幻として描かれる。
 が、その様子は淡々としていて、落ち着いている。静かだ。わたくしが「ハバクク書」を静謐だというのは、こんなところに理由の一端がある。他の預言者たちなら概ね声を荒らげている場面だ。エレミヤあたりは最大の例外といえるかもしれないが、そのエレミヤとハバククにどことなく共通項を見出すのである、というと、一笑に付されるであろうか。
 ハバ2:6は初めて読んだとき以来、深く首肯する箇所である。戒めと諫めの言葉として折りにつけ読んでおります。



 疲れてぐっすり眠る日が多くなったせいか、近頃は夢を見ることがない。見ているのかもしれないが、目覚めと共に木っ端微塵に砕けてしまう。
 あの出来事も、あの子のことも、あの日のことも、或いは感情に基づく妄想も、久しく夢に見ない。あったかもしれない/あったはずのもう一つの人生を夢のなかで生き直すことも、やはり久しく見ていないことだ。
 夢の世界へ入りこむことのできなくなってしまった悲しさはあるけれど、一方でそれだけ充実した社会人生活を送ることができている証しなのか、と諦め、かつ喜んでいる自分がいるのも、拒めぬ事実なのである。◆

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