第1366日目 〈ハバクク書第3章:〈賛美の歌〉withぼくは好きです、ルートビア。〉 [ハバクク書]

 ハバクク書第3章です。

 ハバ3:1-19〈賛美の歌〉
 主を讃美する歌、祈りの詩篇。

 主よ、あなたの名声をわたくしは聞きました。あなたの御業をわたくしは畏れます。あなたの御業が数年のうちにでも実現しますように。しかし、激しい怒りのうちにも、どうか憐れみを忘れないでください。
 「あなたは御自分の民を救い/油注がれた者を救うために出て行かれた。/あなたは神に逆らう者の家の屋根を砕き/基から頂に至るまでむき出しにされた。」(ハバ3:13)
 主よ、あなたは憤りを以て諸国を砕かれる。怒りを以て諸国を潰される。御業を以て諸国を裁かれる。その光景は背筋が凍る程です。あなたに逆らう者は皆、容赦なくこの地上から消されてゆきます。あなたに逆らう者は一人の例外もなく命を落としてゆきます。激しい怒りの前に、容赦なくかれらは滅びてゆきます――。
 「しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。」(ハバ3:18)

 「とこしえの山々は砕かれ/永遠の丘は沈む。/しかし、主の道は永遠に変わらない。」(ハバ3:6)

 「詩編」を読んでいるとき、個々の詩篇がどのようにして誕生したか知りたくてならぬときがありました。簡単な詞書はあっても充分ではない。『万葉集』や勅撰和歌集、王朝期から江戸時代までに編まれた私家集、或いは漢詩集(勅撰漢詩集を含む)を読み慣れた目には、成立の事情が添えられていない詩篇の数々に違和感を覚えていました。あれから2年以上が経つ現在でも、その点だけは変わりありません。
 祈りの詩篇を最後に置く「ハバクク書」を読んでいて、そうした違和感は抱きませんでした。「ハバクク書」は一つの詩篇が生まれる背景(ハバ1-2)と、要の詩篇(ハバ3)から構成される書物である――第1、2章は<第3章;詩篇>の長大なる詞書と捉えることができる、と、わたくしは考えます。仮に「ハバクク書」の前半が失われ、後半の詩篇のみが存在していたとする。もしすべての偶然が重なれば、ハバククの祈りを歌った詩篇が「詩編」の第151篇目としてそこへ収められていた可能性も、けっして否定はできないでしょう。
 ――久しぶりに詩のノートを認めました。そういえば「詩編」と「雅歌」以後、<預言書>に入ってからは絶えてなかったように思います。率直にいうて、近頃は詩を読む行為からも離れているゆえ、少々そちらの能力については錆びついた感がある。その影響が本章のノートへ良くないものを与えているのは、或る面で首肯せざるを得ない事実といえましょう。いまのわたくしにどれだけのことができるのかわかりませんが、本稿に於いてはこれがいま書ける精一杯の原稿であることにご理解をいただければ幸いです。いつの日か改稿できたらなぁ……。

 今日は更新が遅くなってしまい、ご迷惑をお掛けしました。
 AXNで放送されている『CSI:』スペシャルをしばらく観耽っていたら時刻は午前1時40分を過ぎていた。このまま観ていたい欲求を退けて、机の前に辿り着いてからはPCを起動、ぱこぱこノートを打ちこんでいました。
 「ハバクク書」は本日で終わります。2日間のお休みをいただきましたが、どうにかこの詩篇まで到着できました。お読みくださってありがとうございました。読者諸兄に感謝を捧げます。
 次の「ゼファニヤ書」は火曜日か水曜日から読む予定です。その際はまたよろしくお願いいたします。



 ルートビア、ぼくは好きです。たくさんある(らしい)なかで幾種類も飲んだわけではありませんが、ルートビア、ぼくは好きです。あのサ○ン○スっぽい、と揶揄される匂いにも馴れちゃいました。カルディコーヒーファームで売っている種類は概ね好きです。ぼくのようにスヌーピーのコミックスでルートビアを知った人は結構多いと思いますよ。◆

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