第1378日目 〈「ゼカリヤ書」前夜〉 [ゼカリヤ書]

 12小預言書、十一番目の書物が「ゼカリヤ書」であります。本書は前の「ハガイ書」と時も所も同じうするものとして、そうした意味では旧約聖書のなかで珍しい位置附けといえるかもしれません。なお、書名についてはくれぐれも「ゼファニヤ書」と混同されぬようお願い申しあげます。
 ゼカリヤの出自は第1章冒頭に掲げられる通りです。が、そこに一つの齟齬が生まれている。「イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤ」が「ゼカリヤ書」の記述。一方、「エズラ記」はゼカリヤを「イドの子ゼカリヤ」(エズ5:1)と呼ぶのです。
 イドはおそらく、<ユダの総督>ゼルバベルに率いられた第一次帰還団の名簿に名を連ねる祭司イド(ネヘ12:4)でありましょう。また「ネヘミヤ書」に載る帰還団の祭司、レビ人のなかに「イドの子ゼカリヤ」(同12:16)とある。これを「ゼカリヤ書」が記すイドでありゼカリヤである、と同定するのは、時代的に考えても妥当でありましょう。
 ではベレクヤとは、ゼカリヤにとってどのような存在なのか? 或る人はベレクヤこそゼカリヤの実父であり、ベレクヤが早逝して後にイドが孫たるゼカリヤを息子として育てたのだ、といいます。どちらのスタンス――血か職か――に重きを置くかで「ネヘミヤ書」と「ゼカリヤ書」の間には表現の差異が生じた。イドとゼカリヤの関係、記述の相違は――もしそれが事実だとすれば――斯様にも単純なことなのかもしれません。
 このゼカリヤが活動したのは、ハガイと同じダレイオス1世の治世第2年(前520年)から第4年(前518年)までの2年間と確認できます。場所は当然、エルサレム。かれはハガイと共にゼルバベルとヨシュア、その他の帰ってきたユダヤ人たちの神殿再建を支援する者でした。預言の内容はともかく、ハガイとゼカリヤの活動の礎に廃墟となった神殿の再建工事があったのは、動かし難い事実であります。かれらの存在と言葉を励みに、工事に従事する人々は汗を流して新しい主の家を築いていったのでありましょうね。
 「ゼカリヤ書」全14章は大きく2つのパートに分けられます。前半はかれが見る8つの幻と大祭司ヨシュアの戴冠、後半は未来を語る種々の託宣の集成で、<第二ゼカリヤ>とも称される。この部分に預言者ゼカリヤ自身は直接関わっていない、とされますが、神殿再建を通して共同体と民族の回復が語られる点で、やはりゼカリヤ存命中の預言活動なくしては存在も危ういパートであろう、とわたくしなどは読んでおります。勿論、個々の章については明日以後取り挙げてゆきますので、話題とすべき事柄があれば都度触れてゆこう、と思うております。
 今日は後半にあたるゼカ9:9-10に関してだけ述べましょう。新約聖書「マタイによる福音書」に引用されました。マタ21:5-7、イエスがろばに乗って云々という場面です。「福音書」だけ、そればかり読んでいると小さな箇所ゆえ読み飛ばしがちですが、旧約聖書を併読することで、新約聖書の細部が浮き彫りになる場合もある。ゼカ9:9とマタ21:5-7はそんな聖書読書の楽しみを教えてくれます。
 本書にはイスカリオテのユダにまつわる文言も登場するのですが、これについては当日のお話しとしましょう。ユダはイエスを売り飛ばした12使徒の一人、そうして太宰治「駈けこみ訴え」で主役を張った人であります。
 それでは明日から8月のほぼ終わりまで、毎度のことながら1日1章ずつ「ゼカリヤ書」を読んでゆきましょう。◆

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