第1380日目 〈ゼカリヤ書第2章:〈第二の幻〉&〈第三の幻〉with連鎖反応? 翌日付記;さんさんか、So-netへの不信感を募らせる。〉 [ゼカリヤ書]

 ゼカリヤ書第2章です。

 ゼカ2:1-4〈第二の幻〉
 わたくしゼカリヤが目を留めた場所に4本の角があった。御使いはそれを、イスラエルとユダ、エルサレムを散らせた角である、と説明した。続けて4人の鉄工(職人)が目に留まった。御使いはかれらを、イスラエルとユダ、エルサレムを散らせた角を切り倒すために来た者である、と説明した。

 ゼカ2:5-17〈第三の幻〉
 わたくしゼカリヤが目を留めた場所に、人が一人いた。かれは手に測り縄をも持っていた。わたしはエルサレムを測量します、幅と長さを調べるためです、とその人はいった。
 それまでわたくしに語りかけていた御使いが出て行き、別の御使いが来て、かれを迎えた。御使いがその人へ語りかけていうには、――
 さあ、あの若者の許へ走り寄って告げよ。エルサレムの都は人と家畜にあふれて、城壁のない万人に開かれた場所となる。わたしが都を守る日の城壁となろう。わたしはそのなかにあって栄光となる。
 急いで北の国から逃れよ、シオンの娘よ、逃げろ、かつてバビロンにて捕囚であった者たちよ。あなたたちを略奪した国々へ、主が宣言する、わが民に触れることは即ちわが瞳に触れることである、と。主がその御手を振りあげるとき、ユダを苦しめ辱めた国々は己の僕の手にかかって倒れるだろう。
 シオンよ、喜び躍れ。わたしはあなたたちのなかに住まう。その日、多くの国がわたしに帰依して、わが民となる。わたしはあなたのなかに住まう。
 ――こうしてあなたは主がわたし(御使い)を遣わしたことを知るようになる。主は聖なる土地から自分のものとしてユダを取り、再びエルサレムを選ぶ。「すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる。」(ゼカ2:17)

 「ゼカリヤ書」に限らず聖書のノートを執っていて、或いは聖書を読んでいて悩まされるのは、人称の問題であります。以前にも書いた記憶がありますが、いまそこに於いて<わたし>というているのが、預言者なのか神なのか、或いは御使いなのか、と判別しづらいときがあるのです。
 こんなことで躓いて頭を悩ませるのはどうやらわたくし一人のようですが、文脈をきちんと、丹念に辿っていても途中で主語を見失うことがある。本来なら明快で筋道の通った文章であるはずなのに、読んでいる途中でそんな事態に陥るとだんだん他の部分の理解もできなくなってくるのですね。どういうわけか。それが近来稀に見る程著しかったのが、実は本章なのであります。
 いちおう何度か推敲して体裁を整えましたが、読めるレヴェルになっているか不安です。



 一つのことでつまづくと続く他のことも上手く行かなくなる。そうした日はなにをやっても外れくじばっかり引く。なんだか笑われているような、そんな気分の今日。
 明日になれば新しい風が吹くのかな……?◆
2013年08月17日 19時09分


 ただいま真剣にプロバイダの移行を検討中。もうここを信用することができない。
 定刻更新ができなかったことについて深くお詫びします(まあ、安息日と思うことにしましょう)。改善にはプロバイダの移行より他なし、と結論するまでSo-netのCSの対応を見極めて判断しようと思うています。□
2013年08月18日 22時18分


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