第1381日目 〈ゼカリヤ書第3章:〈第四の幻〉withみくらさんさんか、ぼやいてみる。〉 [ゼカリヤ書]

 ゼカリヤ書第3章です。

 ゼカ3:1-10〈第四の幻〉
 続いて主がわたくしに見せた幻。――御使いの前に大祭司ヨシュアが立ち、ヨシュアの右に訴える者/敵対者、即ちサタンがいた。ヨシュアの身なりは汚かった。
 御使いがサタンに、エルサレムを選んだ主はお前を責める、と告げた。「ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。」(ゼカ3:3)
 そうして自分に仕える者たちに、ヨシュアを晴れ着に着替えさせ、清い冠り物を頭へ載せるよう命じた。その間、御使いはずっとヨシュアの前にいて、立ち続けていた。
 御使いはヨシュアに証言していった。万軍の主はこういう、――
 あなたがわたしの道を歩み、わたしの務めを守るなら、あなたはわたしの家、即ちユダヤを治め、わたしの庭を守る者となる。「わたしはあなたがここで仕える者らの/間に歩むことを許す。」(ゼカ3:7)
 ヨシュアよ聞け(と、主がいう)、あなたの同僚と共に。あなたはわたしの印徴となる者である。見よ、あなたたちの前に一枚の石の板がある。そこには7つの目が刻まれている。わたしはそこに碑文を刻む。一日のうちにこの地の罪を取り除く。
 その日(と、主がいう)、ぶどうといちじくの木の陰であなたたちはたがいに抱き合う。

 本文のなかにも落としこんだように、サタンは訴える者/敵対者の意味。これが「サタン」という言葉の原義である、といいます。これを一つの根拠として今日われらが知るような「サタン=悪魔」となった由。然るに「ヨブ記」にて神を唆してヨブを破滅させようとしたサタン(ヨブ1:6-2:8)も、同様に神の敵対者という意味合いで登場した、と、いまなら判断が付くのであります。
 そういえば「ヨブ記」に於いてサタンは、神にどこから来たかと問われてこう答えました、地上を巡回していました、方々を歩きまわっていました、と。これはゼカ1:10でミルトスの林のなかで赤毛の馬に騎乗していた人が口にした台詞に近い。それがサタンである、というのではありませんが、つながりを求めていった先の書物に再び近しい文言を見出すと、思わず勘ぐってしまうのが素人聖書読みの悪い癖なのかもしれません。
 本章は明らかに、第6章でわれらが読んで出会うこととなるヨシュア戴冠の前触れであります。前奏曲というてよいかもしれません。当初戴冠を予告されていたのはゼルバベルでありましたが、そこでは代わってヨシュアの戴冠、そうして祝福が描かれる。どうしてだろう、と思うて本章を読めば、ここで布石が打たれているのに気附きましょう。
 ゼルバベルではなくヨシュアであった理由は語られませんが、思うに神殿再建を通してユダヤ人共同体のまとまりも付いてゼルバベルの仕事も一つの完成を見た、そのあとで必要とされるのは民の信仰の維持と変わらぬ主への畏怖と敬愛である、それゆえに主は敢えてダビデ王家の末裔たる「バビロンの若枝」の名を持つゼルバベルではなく、<大祭司>ヨシュアを選んで共同体の心的運営を図ったのではないだろうか。ゼカ6:13を読んでわたくしはそう思うたのであります(「彼こそ主の神殿を建て直し/威光をまとい、王座に座して治める。/その王座の傍らに祭司がいて/平和の計画がふたりの間に生ずる」)。



 一時的な創作意欲の減退は著しくわたくしを蝕む。本ブログだけで手一杯なのは仕方ないにしても、このままの状態がいついつまでも、無限地獄のように続くのだけは勘弁してほしいのだが……。◆

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