第1382日目 〈ゼカリヤ書第4章:〈第五の幻〉with3人の作家の伝記を前にして。〉 [ゼカリヤ書]

 ゼカリヤ書第4章です。

 ゼカ4:1-14〈第五の幻〉
 わたくしに最初に語りかけてきた御使いが戻ってきた。なにを見ていたのか、と尋ねられたので、金の燭台の幻(ゼカ4:2-3)の話をした。その燭台の左右には1本ずつ、オリーブの木がある。わたくしは御使いに、この幻はどんな意味なのか、と訊いた。御使いが、わからないのか、と返したのでわたくしは、わからない、と答えた。すると御使いはいった、――
 これが<ユダの総督>ゼルバベルに向けた主の言葉である。ただ、わが霊によって。大いなる山はかれの前で平らにされる。そこから親石を取り出したかれを喝采が包む。
 ゼルバベルがこの家の基を据えた――かれはこの仕事の完成を見届けるだろう。「誰が初めの日をさげすむのか。/ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て/喜び祝うべきである。」(ゼカ4:10)
 2本のオリーブについて。その枝先には2本の金の管が挿さっていて、そこから油が注ぎ出されている。これは全地の主の前に立つ、2人の油注がれた人たちだ。

 ゼルバベルがエルサレムに再建された第二神殿の基を据えた。いったいかれが神殿の完成を実際に見届けることができたのかわかりませんが、主にはその意思(というよりも、希望、か)があった。帰還した、そうして今後も遠近から帰還するであろうユダヤ人をまとめる役にゼルバベルは選ばれた。
 なぜならば、かれがダビデ王家の正統なる継承者であり、主の愛でたダビデの血を引く唯一の生き残りだからだ。いわばユダヤ人統一の象徴的存在がゼルバベルでした。それゆえに、ゼカ4:14ではヨシュアと共に「油を注がれた2人」と呼ばれるのです。それは第6章にてヨシュアが戴冠する際、暗に記して示されたことであります(ゼカ6:12-13)。
 ゼルバベルは神殿という<箱>を作り、ヨシュアが主の霊をそこへ収めた。大祭司は<箱>に<中身>を入れたのである。<中身>とは信仰のことでもある。むろんそう単純な話ではあるまいが、そんな図式が不完全ながら成り立つのも事実。御意見を賜りたい。



 今年の夏はなんなのか。――猛暑や熱中症ではなく、書店の一角に並ぶ書籍の話である。
 お気附きだろうか、海外文学のコーナーの前で足を停めると、アメリカ人作家の浩瀚な伝記が3種も新刊として並んでいることに? カート・ヴォネガット、J.D.サリンジャー、レイモンド・カーヴァー。今夏は暑さ極まり、厚さ極まる、か。
 正直なところ、買うのを逡巡するのは価格のゆえに他ならない。それ程お金を潤沢に使える時期にない(切り詰められるところは極限まで切り詰めたいと願っている)わたくしは、本屋に通ってはそれらを立ち読みする日々だが、財布の紐を緩めてでも買いたいと思わせるのは、畢竟レイモンド・カーヴァー伝のみだ。
 知己の人らによるエッセイや村上春樹の解説などで知るレイ・カーヴァーの人生は、なんだか他人とは思えぬ程覚えのある諸々に満ちていて、共感できること、重ね合わせられること著しいのである。わたくしがカーヴァーに惹かれるいちばんの理由はかれが等身大の作家であり、その作物に筋肉の動きを感じるからだ。翻訳されたすべての作品を愛でることのできる海外作家などそうあるものではない。ましてやその伝記までが再三再四の愛読に耐えるものである/あろうことも、滅多にあることではない。
 話題は帰って、カーヴァーとサリンジャーの伝記はどうしても欲しい一冊だけれど、諸般の事情により今月の購入は無理だなぁ……来月の給料まで待たなくっちゃ、だな。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。