第1388日目 〈ゼカリヤ書第12章,第13章&第14章:〈エルサレムの救いと浄化〉with横浜市長選を終えて。〉 [ゼカリヤ書]

 ゼカリヤ書第12章と第13章、第14章です。

ゼカ12:1-14:21〈エルサレムの救いと浄化〉
 これは託宣である。主の曰く、――
 エルサレムは周囲の国々を酔わせる杯となり、諸国はそれに群がり包囲の陣を敷く。都のみでなく、ユダもまた同様に。その日、エルサレムは重い石となり、持ちあげようとする者は全員深い傷を負う。都を落とすため、全地の国が集結する。
 わたしはユダの上に目を開いて諸国の軍を無力にする。それを見たユダの諸族は自分たちがエルサレム同様、主なる神に守られているのを思い起こす。わたしはユダの諸族を火のようにし、周囲に迫る敵を燃やし尽くす。エルサレムはなおそこに留まり、エルサレムで在り続ける。
 わたしはまずユダの天幕を救う。かれらの誉れはダビデの家、エルサレムの民の誉れと同等のものとなる。「その日、彼らの中で最も弱い者もダビデのようになり、ダビデの家は彼らにとって神のように、彼らに先立つ主の御使いのようになる。」(ゼカ12:8)
 「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」(ゼカ12:10)――その日、エルサレムに大きな嘆きが訪れる。それぞれの氏族は寄り集まって、悲しみに暮れるのだ。
――と。

 主の曰く、――
 その日、ダビデの家とエルサレムの住民の罪と汚れを洗い清めるために、一つの泉が開かれる。
 以てわたしは数々の偶像の名を取り除き、預言者と汚れた霊をかれらのなかから取り除く。以後、預言者たちは皆、預言をしても自分が見た幻ゆえに恥を搔き、自らを昔からの農夫である、と偽って暮らす。
 わたしは残りの者を試し、精錬する。わが名を呼ぶ者があればわたしはかれをわが民と呼び、わたしにわが民と呼ばれたかれは主こそわが神と答えるだろう。
――と。

 主の曰く、――
 見よ、主の日がくる。あなたたちの手に掠め盗られたものが戻る日だ。
 わたしは諸国の民を集めてエルサレムへ戦いを挑ませる。都は陥落し、家は略奪され、女たちは強姦され、住民の半分は捕囚となる。が、残りの者が都からすべて絶たれるわけではない。「戦いの日が来て、戦わねばならないとき/主は進み出て、これらの国々と戦われる。」(ゼカ14:3)
 その日、わたしはエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立つ。山は東西に裂け、それぞれ北と南に退く。谷に出来た道をお前たちは通って逃げるがよい。わたしは御使いを連れてお前たちの許へ行く。
 その日、光はなく、冷えて凍てつく日。「しかし、ただ一つの日がくる。/その日は、主にのみ知られている。/そのときは昼もなければ、夜もなく/夕べになっても光がある。/その日、エルサレムから命の水が湧き出で/半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい/夏も冬も流れ続ける。/主は地上をすべて治める王となられる。/その日には、主は唯一の主となられ/その御名は唯一の御名となる。」(ゼカ14:7-9)
 エルサレムを守るようにして四方を囲んでいた山地は低くされて平坦になり、エルサレムはそれが為に高い場所に留まる。人々はシオンに住まい、もはや破滅と無縁なるがゆえにかれらの安住の地となる。諸国の軍が攻めてきたならば、わたしは疫病を以てかれらの進軍を阻み、かれらの肉体を腐らせて消そう。その日、わたしの大いなる混乱がかれらに臨む。かれらは自らによって滅びる。
 エルサレムを攻めた国の残りの者――これは即ち悔い改めた者のことである――が毎年、エルサレムへ上洛してきて、万軍の主を礼拝して仮庵祭を祝う。仮庵祭のために上洛するのを怠った国はすべて疫病の罰を受ける。
 その日、すべてのものが聖別される。
 その日、万軍の主の神殿に商人(=カナン人)はいなくなる。

 神殿にて主を礼拝する者、仮庵祭に参加する者は皆神なる主の民である、というのが本書の〆括りである。
 ゼカ12:11「メギト平野におけるハダド・リモンの嘆きのように」とは南王国末期の善王ヨシヤの崩御と関わる。ヨシヤ王はメギト平野に於けるファラオ・ネコ率いるエジプト軍との戦いに敗れてかの地にて落命した(前609年)。その際、民はハダド・リモンの地にてそれを嘆いた、というのであります。王下23:29-30と代下35:20-24を参考箇所として挙げておきます。
 仮庵祭にエジプトが上ってこなかったら、同じように仮庵祭へ参加しなかった諸国も疫病に見舞われて罰を蒙る、とは、なにやら連帯責任を負わされているみたいで嫌ですね。 全体的に「ゼカリヤ書」とは途中で訳がわからなくなり、本文もやや錯簡を生じさせているようで、それゆえに読者をも混乱させてしまうことの多い書物と感じます。昨日の<悪い羊飼い>がそうでしたが、今日の第14章も例外ではありません。読むにあたって、書くにあたってわたくしが抱いた疑問と困惑が原稿に反映していないことを切に望みます。

 ちょっと急いだ感のある「ゼカリヤ書」は本日を以て終わります。いつもお読みいただきありがとうございます。
 次の「マラキ書」読書ノートはすぐに開始する予定でおります。またその際は宜しくお願いいたします。



 横浜市長選は最低の投票率を記録したらしい。要因は様々にあろう。あの暑さのなか、投票所へ行く気にはなれないよね。候補者3人が掲げるマニュフェストになんの魅力も関心も抱けなかったのも、(個人的には)棄権者の多かったことの大きな要因と思う。
 仕事帰りの期日前投票で現職者へ一票を投じたけれど、それは特に林市政を評価しての投票ではない。この人の過去の実績を買っての信任ではない。他に選択肢がなかっただけの話だ。現職者に較べて他が霞んで見えた、というわけではない。他に選択肢がない、というのは、最も消極的な意味でのそれだと知ってほしい。林も他の候補者も五十歩百歩、海のものとも山のものともつかぬ衆であることに違いはない。これで現職者が退いていたら棄権したことであろうなぁ。
 が、棄権=反対票ではないことを有権者は知るべきだ。加えていえば、投票率が30%を割った選挙結果を果たして民意の反映と受けとめる脳天気バカはおそらく林陣営、就中ご本人ぐらいであるまいか。呵々。
 正直、わたくしは林市政を評価する者ではない。<待機児童ゼロ>はなかなか全国的に好評なようだが、現市長の業績としてそれ以外にあがらぬは片腹痛いとしか申し上げようがない。これとて結局は現場無視の市長の自己満足で終わった感が強い。瞬間のデータだけ提示されても意味はない。継続されずしてなんの実績か。
 ミクロな視点で見ても、マクロな視点で見ても、しばらく横浜市は飛鳥田-細郷-高秀市政に並ぶ業績を成し遂げる首長を戴くことは出来なさそうだ。――どうだろう、二期目を以て女史にはご退任願わないか?◆

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