第1391日目 〈マラキ書第2章1/2:〈祭司への警告〉&〈若いときの妻に対する背信〉withR.シュトラウス《13管楽器のためのセレナード》を聴きました。〉 [マラキ書]

 マラキ書第2章1/2です。

 マラ2:1-9〈祭司への警告〉
 主がいった、――
 祭司たちよ、わたしはお前たちの子孫を脅かし、その顔を汚物塗れにする。それは祭りにささげられた犠牲の捨てられた部分である。顔を汚物塗れにされたお前たちは、更に献げ物のうちで捨て置かれたものの上に放り捨てられる。
 命と平和のために結ばれた契約は、レビに、わたしを畏れる気持ちを抱かせるための契約でもあった。かれの唇は真理を語り、偽りと縁なく、平和と正義を胸に抱いてわが名と共に歩み、多くの人々を罪から立ち帰らせた。
 が、お前たちは道を踏み外してしまった。多くの人を躓かせてしまった。レビとわたしの間で結ばれた契約を棄てた。――わたしもお前たちをユダヤの民から蔑視される、価値なき者とした。「あなたたちがわたしの道を守らず/人を偏り見つつ教えたからだ。」(マラ2:9)
――と。

 マラ2:10-16〈若いときの妻に対する背信〉
 忌むべき行いがイスラエルとエルサレムに広まっている。ユダは主を裏切った。
 なぜヤコブの民が万軍の主以外の神を信じる民の娘を妻としているのか。主よ、とわたくしマラキはいう、かれらを家族もろともヤコブの天幕から根こそぎ絶って滅ぼしてください。たとえかれらがあなたへ清い献げ物をささげていたとしてもです。
 また、清い献げ物をささげていながら、目を涙で曇らせる者もいる。かれは問う、なぜですか、と。それはあなたが若いときに妻とした女性、主を証人として結婚した女性を裏切ったからだ。
 「彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約した妻である。」(マラ2:14)主は霊と肉を持った<ひとつのもの>を創った。<ひとつのもの>が求めるのは子宝を授かることである。若いときに妻とした女性をあなたは裏切るな。
 わたしは離婚を憎む。それは律法に背く行いだ。
 自分の霊に気を付けよ。裏切ってはならない。
 

 レビと結ばれた契約がなにを指すのか。いつ結ばれたものなのか。旧約聖書のどこを読み返してみても該当する契約は出て来ないように記憶します。しかし、レビがかつて神と結んだ契約を現代のレビ族は顧みることがないから、ユダヤの民を神の道へ戻すことができなくなっているのだ、と主は告発しているように思うのであります。自分が迷っていては誰をも導くことはできない。これはいまの世にも通じることであります。
 ――若きときに娶った妻をお前はゆめ裏切るな、と主はいいます。では、若きときに伴侶となる女性を永遠に失った者に果たして主はなんというのでありましょうか? 是非膝を詰めてじっくり話し合いたいものだ――ヨブのようにです。



 モーツァルトの圧倒的影響下に作曲されたリヒャルト・シュトラウス《13管楽器のためのセレナード》Op-7は、交響詩やオペラの陰に隠れてしまいがちな初期作品のなかでも格別に愛らしい一曲。Fl、Ob、Cl、Fg×2,Fg×1,Hr×4の編成が醸す艶やかさ、やわらかな響きは、聴く者の心を音楽の法悦境へ誘ってくれること間違いなし。
 以前は小澤=ウィーン・フィル団員のPHILLIPS盤以来、満足できる演奏、録音に恵まれなかった曲ですが、D.ジンマン=チューリヒ・トーンハレ管のメンバーによる演奏は長年の渇望を癒す納得のもの。そうしてこの演奏のほぼ決定打といって良かろうものであります。それぞれの楽器の音色が自己主張することなく溶けあって一つの響きを生み出す様は、まさに典雅としか言い様がありません。
 改めて、日頃軽視しがちな吹奏楽作品の芸術的価値を認識させられた一枚。コンサートのプログラムに組み難い作品ではありますが、管楽器を愛するすべての人々に耳を傾けてほしい、吹奏楽史の秘めたる逸品なのも揺らぎようなき事実です。2000年1月の録音ですが、いまに至るもこれを上回る演奏はリリースされていないように感じます。
 本盤はこのコンビによるR.シュトラウス・ツィクルス完結編で、交響詩《ドン・キホーテ》(2003,2rec)、《ロマンツェ》(同)他を併収しています。ARTE NOVA BVCE-38068◆

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